田園から朝日が昇る、この風景を100年先も。〜Uターン米農家が挑む未来〜
2018年3月20日
農家の高齢化や担い手不足などの課題は、「さくら米」や「たんとうまい」で有名な米どころの厚真町でも例外ではありません。高齢農家が手放した水田を、他の農家が継承したり畑作に切り替えたりすることもあれば、放置され耕作放棄地となってしまうことも少なくありません。このような状況の中、町内有数の水田地帯・美里地区で3代にわたり米農家を営む酒井逸也さんは「美里の風景を次の世代に残したい」と、産地の未来を築くための挑戦を続けています。
37歳。一家の大黒柱は、工場長から農家1年生に
米農家の長男として生まれた酒井さんは、農作業で忙しく働く両親の背中を見て育ち、幼い頃から「自分もいつか農家を継ぐのだろう」と漠然と考えていたといいます。中学卒業後は農業高校に進むつもりでしたが、担任教師から「農業の先生は家にいるのだから、まずは自分が好きなことをやってみたら?」と提案され、工業高校へ進学。その後、札幌の金属加工会社に就職しました。
先代である父からは、「農業はこの先どうなるか分からない。うちのことはいいから、まずは今の仕事で生計を立てられるようになりなさい」と助言され、仕事に没頭。やがて結婚し、二人の子どもにも恵まれ、仕事では工場全体を任されるポジションに。順風満帆だった頃、「いつか」は突如やってきました。
2010年に奥さんが病気を患い、酒井さんの肩に仕事と家事のふたつが重くのしかかりました。酒井さんは家族4人のくらしを守るために退職し、実家を頼ってUターン就農します。
田植えや収穫などの繁忙期に実家の仕事を手伝っていたとはいえ、農業技術も機械操作も知らない未経験からのスタート。まずは「とにかく親父のやっている仕事をそのままできるようになろう」と技術を磨きました。
農協青年部にも積極的に参加し、さまざまな情報を得ながら「農業経営や農業を取り巻く状況も学んでいった」といいます。
就農3年目の経営移譲。そして、省力化への挑戦
就農3年目になった2012年、先代が65歳になるのを機に、酒井さんは農地を譲り受けました。
経営を引き継いだ当初は「親父の背中を追うばかりだった」という酒井さん。その後、ある人との出会いがきっかけで、独自のチャレンジに取り組むことになりました。
「5年ほど前に、先代を介して知り合った農機具メーカーの担当者から直播(ちょくはん)をやってみないかと提案を受けました」。
直播栽培とは、ビニールハウスで育てた苗を田んぼに移植するのではなく、水田にタネを「直播(ま)き」する栽培方法のこと。ビニールハウスを立て、苗を管理する工程がなくなることで、資材費や人件費を抑えることができます。育苗・田植え時期の労力をほかの作物の作業に充てることができる一方で、課題もありました。
「胆振地方は、直播栽培を実践している本州や九州に比べて気温がずっと低く、直播には向かない地域といわれていました。環境で芽を出してくれるのか。出た芽はちゃんと育ってくれるのか。周囲では誰もやったことがなかったので、すべてが手探りでした」。
それでも、酒井さんには挑戦しなければならない理由がありました。
「美里は特に高齢化が顕著で、自分に目をかけてくれた先輩農家の中にも農業を続けられなくなる人たちが年々増えていました。そうしたお世話になった方から『土地を使ってくれないか』と言われた時に、『悪いけど手一杯なんだ』ではなく。『大丈夫だよ』と応えたい。今の労働力のまま耕す面積を増やすには、もっと効率のよい農法を追求しなくてはいけなかった。それで、手間や労働力を省く省力化・低コストの直播栽培に挑戦したのです」。
実際に始めてみると、発芽はまばらで、せっかく芽が出ても鳥についばまれてしまうなどトラブルの連続。収穫量も思うように伸びませんでした。そうした中、周囲にも直播栽培にチャレンジしたいという農家が現れ、志を同じくする仲間が集まって研究会を発足。酒井さん自身は研究会に所属しながら、新たなチャレンジを行うため、昨年から「乳苗(にゅうびょう)移植栽培」と呼ばれる栽培方法に挑戦しています。
乳苗移植栽培とは、直播栽培と一般的な移植栽培の中間のような手法で、苗がまだ小さなうちに水田へ移植するので育苗期間が半分になり、移植作業も軽減されるというメリットがあります。
「まだ始めたばかりで先が見えない状況ですが、チャレンジを続けてきたことでほかの生産者はもちろん、普及センターや農協との関わりも強くなりました。地域の未来を見据えたとき、省力化は非常に大事なキーワードです。タネのまき方、水や施肥の管理など、実際に栽培してデータを取りながら厚真にあった栽培スタイルを確立したいと思っています」。
米どころとしてのプライド。高付加価値化の試み
酒井さんが今、省力化と並行して取り組んでいるのが、農薬と化学肥料の使用量を半分以下で育てる特別栽培です。
厚真町(JAとまこまい広域)では農薬6成分以下、化学肥料50%未満という独自基準を設定し、町内4軒の生産者が特別栽培米に取り組んでいます。酒井さんは80aの圃(ほ)場で特別栽培米『ななつぼし』を生産しています。
「もともと美里はそんなに農薬が必要な環境ではありませんが、6成分というのは難しい。でも実際に作ったお米を食べ比べると、うちで作った同じ品種のお米でも、明らかに特別栽培米の方がおいしいんです。20人ぐらいが試食しましたが、やっぱりみんなそう言う。不思議ですよね」。
実は、特別栽培に取り組むためには施肥・農薬管理の見直しが必要で、除草などの作業負担を考えても慣行農法よりずっと手間が掛かります。省力化を図ることと、手間のかかる特別栽培米で高付加価値化をめざすことは一見矛盾しているようですが、酒井さんはどちらも必要だといいます。
「ただ省力化を求めるのであれば、飼料米や加工米に特化する方法もあるでしょう。でも、厚真町がこれからも『おいしい米どころ』であり続けるには、ななつぼしのような米を生産し、厚真米のブランド力を高めていくことが必要不可欠です。特別栽培米のような付加価値の高いお米に取り組む、そのためにも作業を軽減できるところは軽減する。そうやって産地の誇りを守っていけたらと思います」。
守るべきは米どころとしてのプライド。それは、酒井さん自身の原体験に基づいています。
「小学生の頃、家族で登別へ温泉旅行に行きました。そのとき、知らないお客さんに『どこから来た?』と聞かれて『厚真』と答えたら、『あぁ、お米の旨いところだね』と言われたんです。自分のまちが自分の知らない所で自分の知らない人に知られている、そのことが子ども心に衝撃的でした」。
厚真町が良食味米の産地である要因はどんなところにあるのでしょう。
「土がいい。それが第一かな。もちろんさまざまな条件が重なっているとは思いますが、土壌の影響は大きいです。特に美里は水はけの良い砂地で、値が低ければ低いほど、おいしいといわれるタンパク質含有量の値も低くなりやすく、食味が良いというデータもあります。良食味米が取れる環境下なので、これからもそこにはこだわっていきたいですね」。
日はまた昇る。広がる田んぼの向こうから
酒井さんは現在、約12haの水田と15haの畑を所有しています。水田は、高齢農家から土地を譲り受け、経営移譲してからの5年間で8ha増えました。所有する圃場以外にも、委託を受けて刈り取りなどの作業を行っており、この流れはこれからも続くといいます。
「美里では10年ぐらい前から高齢農家の土地を元気な農家が代わりに耕すケースが増えています。一軒でまかなうのは大変だからと、今では美里の仲間みんなで分担して作業委託を受けるようになりました。近い将来には、他地域の同世代と組むことも必要になるかもしれません。みんなで美里を、厚真町の農地を守っていくという考え方が、これからはもっと大事になっていくと思います」。
どうしてそこまで土地に、しかも農地であることにこだわるのでしょうか。
「好きなんです、この眺め。視界が開けて一面に田んぼが広がっている風景が。春は代かきを終えた田んぼに太陽が反射して大地が鏡のようになり、夏は視界いっぱい若々しい緑に覆われて、秋には黄金色になって輝く。朝は田んぼの向こうから日が昇り、夕方になれば反対側の田んぼに日が沈んでいく。ずっと昔から変わらない。ずっと好きだった美里の風景、美里の人たち、美里の居心地のよさ。そういうのも含めて残していきたい。
自分には大きなビジョンはないけれど、ただこの風景をつないでいきたい。そのためには跡継ぎにもこだわりません。誰かがやってきてここを耕してくれるのであれば、酒井の田んぼが例えば伊藤の田んぼになってもいい。法人の名前になってもいい。守るべきは看板じゃない。これからはそういう柔軟さも必要でしょう。大切なのは、つないでいくことだから。親父がよく言うように農家は毎年1年生です。自分だってたかだか7回目の1年生に過ぎません。もっともっとチャレンジしていきたいし、可能であればチャレンジする人を受け入れていきたい」。
挑戦することのモチベーションを尋ねると「好きという気持ちと、ほんのちょっとの使命感かな」と照れくさそうにいう酒井さん。変わらない風景のためには、変わり続けることが大切であると教えてくれました。
酒井さんのお米はJAとまこまい広域厚真地区のブランド米「さくら米」として出荷されています。ふるさと納税の返礼品としても購入できます。
厚真町へのふるさと納税のお申し込みはこちらからお願いします。
================
文=長谷川圭介(KITE)