まちの“関係人口”になった大学生チームの「私たちが厚真町へ通う理由」。

2020年3月23日

大学生は、まちにとって大切な“関係人口”になる——。
そんな証明をしつつある、大学生チームがいます。
彼らは、北海道大学を中心とした大学生からなるボランティアサークルあるぼら
メンバーは主に札幌市に住み、厚真町へ通っています。

なぜ、厚真町へ通っているのでしょうか。
そこで感じていることとは?
ともに北海道大学の2年生である(2020年2月現在)、「あるぼら」代表の立川ひかりさんと、メンバーの五十嵐紗衣(いからし・さえ)さんにお話を聞きました。

東北の復興支援から、北海道でのボランティアへ

— お二人が「あるぼら」に入った経緯を教えてもらえますか?

立川:私は入学してすぐに入りました。「あるぼら」は、東日本大震災の復興支援をする団体として設立されたんですよ。名称は「アルバイトでボランティア」の略で、みんなで一日イベントアルバイトをして、そのアルバイト代を運営費や東北へ寄贈するものの購入費にしてきました。

私は茨城県出身で、小学6年生のときに東日本大震災が起きて少し被災したのですが、子どもの私にはボランティアなどは何もできなかったので「大学生になったら時間ができるし、やってみようかな」と思って入りました。子どもと目線が近いなど、学生だからこそできることが何かあるんじゃないかなって。五十嵐:私は大学1年生の9月から入りました。北海道胆振東部地震が起きた、その月です。北海道で大きな地震が起きたことに驚きましたが、札幌がすぐに何事もなかったかのような感じに戻ったことにも、びっくりしたんですよ。

でも絶対に、被災現場の方は困っているんじゃないかなと思って。どうしたらいいかなって思ったとき、母が「ボランティアしなよ」と言ってくれて、学内で被災地ボランティア募集のビラを探したら、目に留まったのが「あるぼら」でした。すぐに連絡して、そのまま入りました。

立川:「あるぼら」は設立当初は「何か支援したい」という人が多く、すぐに参加者が集まるような状態だったんですけど、実は私たちが1年生のときには先輩メンバーが4年生しかいなくて、存続の危機だったんです。

それに、結成して8年以上経ち、500人以上の学生が参加して170万円以上のものを寄付してきましたが(2020年2月現在)、東北の被災地の状況は以前に比べれば落ち着いてきて、物資支援はそこまで必要ではなくなったのかなと思い始めていて。

札幌にいても「何をしたらいいか」が分かるようになった

— 北海道胆振東部地震が新たな活動のきっかけになったのですね。

五十嵐:そうですね。『エーゼロ厚真』さんに厚真町のいろいろな方とつなげていただき、2019年1月、当時の代表と私で「あるぼら」にできることを探しに厚真町へ行きました。被災後のさまざまな課題があるなか、まちの方が一歩ずつ努力されていること知って「私たちにできることは限られているけれど、それでもできることはたくさんある! まちの人たちの力になりたい」と思ったんです。
(参考:当時の記事はこちら

立川:その後、寄付だけでなく、直接ボランティアをする活動も始めました。厚真町の「第19回ランタン祭り」のお手伝いをしたほか、厚真町内の各地を見学したり、お話を聞いたり、養鶏農家さんやハスカップ農園さんのお手伝いをしたりする「厚真町ツアー」を3回行って、まちに顔見知りが増えていったんです。
それからは、札幌にいても「何をしたらいいか」「こういうのは要らないんだろうな」などが分かるようになって、それがまた次の活動につながっていきました。

— どれくらい通っているのですか?

五十嵐:ハスカップ農園さんで農作業を何度かお手伝いしたり、厚真町で開催されたイベントに参加したりして、10回以上通っています。道内で通っているまちは、厚真町だけです。

こんな風に関わるようになるとは思っていなかったですね。私たちは学生で未熟者だから、そんなに受け入れてくださるとは思っていなくて。ごく少人数の方が関わってくれるのかな……って予想していたんですけど、想像以上に皆さんが「いいよ」「おいで、おいで」と受け入れてくれて、通いやすくなりました。今も毎回「またおいで」って言っていただけることがうれしいです。

まちなか交流館『しゃべーる』で帰りのバスを待っていたとき、『しゃべーる』の方が顔を覚えてくださっていて、たい焼きをくれたんです。足を運んでいるとこうやって顔見知りになれるし、優しいな、あたたかいなと思いました。

厚真町へ来て、視野がすごく広がった

— どのような交流をして、何を感じているのでしょう。

立川:札幌にいると、たとえ顔を知っていても距離感があるようなお付き合いが多いんですけど、厚真町の人たちはちょっと顔を知っていたら「次これあるからおいでよ!」「今度こんなイベントがあるんだよね」と声をかけてくれます。お寺で開催されたイベントに「スタッフとして来てよ」と呼んでいただいて、お手伝いをしたんですけど、「あのときは助かった」って今でも言われます。

私の地元はすごく田舎で、住民の多くは高齢の方なんですけど、厚真町には若い人たちもたくさんいて、会社を立ち上げたり、まちのための新しいプロジェクトをしたり、若い人どうしで交流もしているところがすごいと思いました。

五十嵐:ハスカップ農園さんに通ううち、ハスカップの木を剪定する作業にとても苦労されていることを知りました。普段はペンチを使った手作業で頑張っていて、試しにやらせてもらったんですけど、全然切れないんですよ。「剪定は冬が来る前に終わらせないといけないけれど、地震の影響などで進んでいない。このままだと夏にハスカップ農園を開くのは難しい」と聞きました。

そこで、みんなで相談し、電動式の剪定バサミを寄付しました。その後、剪定のお手伝いに行ったとき「雪が降る前に剪定作業が終えられてよかった。開園できそうだ」と聞いて、よかったなって思いました。

— 通うなかで、まちの人たちから学んだことや、まちで感じたことは何ですか。

五十嵐:厚真町で馬搬林業をしている西埜将世さんのところへ、薪割りのお手伝いに行ったとき、「あるぼら」のメンバーが「こういう生き方ができるんだ」と驚いていたんです。私も、昔ながらの薪割りを楽しみながら「人生の道の一つとして、こういうのもありなんだ」と感じました。いろいろな人生を知れるのって、将来を不安に思うこともある大学生にはとてもいいなぁって思いました。

立川:関係性が深まっていくなかで、まちの人が少しずつ震災当時のことなどを話してくださるようになって、打ち解けてきているのかなとは思います。私たちなんて大学生で大きなことはできませんけど、ちょっと話すだけで気が楽になったり、当時のことを客観的に見るようになったりするのかなって。それもちょっとしたボランティア、支援になるのかなって思います。

五十嵐:私は、視野がすごく広がりました。「あるぼら」に入るまでは、学校生活と運動部の部活動だけ、つまり北大の内輪のなかで将来を見ていたんですよ。「普通に大学院へ行って就職するのかな……」って感じだったんです。でも、厚真町は新しい取り組みをしていて、さらに「こんな働き方があるんだ」っていう人たちもいて、「生き方は一つのレールだけではない」と感じられました。そういう道を探すこともできると知れて、とてもうれしいです。

私たちと厚真町へ通いませんか?

— 2020年1月には、厚真町で開催された「第13回 あつま国際雪上3本引き大会」に、9名で参加されましたね。

五十嵐:現在の活動メンバーは10名なので、ほぼフルメンバーで参加しました。これまで私たちが町内のイベントに参加したことをまちの人たちが喜んでくれていると聞いていたので、「3本引きには参加したことがないし、『あるぼら』で参加しない?」と提案したら、みんなが「いいよ!」って言ってくれて、軽い感じで(笑)決まりました。

立川:予想していた以上に体力の要る競技で(笑)、予選で敗退してしまいましたけど、今回は「自分たちが楽しむ」っていうことが大きかったです。「来年は人数を増やして、競技の対策を練って、また参加したいね」と話しました。それと今日、まちの人たちから「ランタン祭りにも来て欲しい」と声をかけてもらいました。こうやって、きっとこれからも厚真町へ通うと思います。

— 現在、メンバーを募集しているそうですね。

立川:はい、私たちは共に活動する仲間も探しています。「あるぼら」の活動や厚真町に興味のある大学生は、ぜひ一緒に活動しましょう!



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