自分たちなりの支援とは? 学生サークル「あるぼら」の厚真を想う心が形になって

2019年3月27日

北海道胆振東部地震から5ヵ月。
厚真町で起こった大規模な土砂崩れの現場は雪に覆われ、季節の移り変わりを感じさせる風景が広がっています。
普段の暮らしが徐々に戻っていくなかで、いま緊急時とは別の支援のあり方が求められるようになっています。
こうした時期に、「被災地の役に立ちたい」と厚真町にやってきたのは、北海道大学の学生で「あるぼら」というサークルのメンバー5名。
彼ら彼女らが、どのような想いで支援を行おうとしているのか、その取り組みについて話を聞きました。

楽しみながらアルバイトをし、それが支援へつながる活動

サークルの名前である「あるぼら」は、アルバイトでボランティアの略。
東日本大震災が起こった2011年に「被災地の人々に私たちができることとはなんだろう?」という問いかけから、札幌近郊に住む学生たちによって結成された震災支援団体です。

主な活動は、大学生がアルバイトをして必要なモノを購入し、東北の被災地に届けるというもの。「あるぼら」のメンバーだけでなく、呼びかけに応じた学生たち数十名が、「さっぽろ雪まつり」や「勝毎花火大会」の運営スタッフとして働き、そのアルバイト代が資金となっています。

これまで20回以上、東北の支援を続けてきた「あるぼら」が、自分たちの住む北海道へ目を向けるきっかけとなったのは、9月6日未明に起こった厚真町で最大震度7を観測した地震でした。

「今は北海道が大変な状況にあるのだから、あなたたちは北海道にいる学生として何かしたらいいんじゃないか?」

北海道大学の4年生の金谷尊さんによると、東北の支援先とのやりとりをしている中で、そんな言葉をかけられたと言います。

「サークルのメンバーのあいだでも、胆振東部地震を受けて今後どうするかを話し合っていたちょうどそのとき、東北の方からアドバイスをもらって、北海道の被災地に対して何かしたい!と思うようになりました」

自分の目で確かめることの大切さを知った、最初の訪問

この震災がきっかけとなり「あるぼら」のメンバーになった学生もいます。北海道大学の1年生の五十嵐 紗衣さんです。

「将来、環境問題などにかかわる仕事に就きたいと思っていたので、学生時代に、たくさんの自然や人と関係を持つ何かをしたいと考えていました。そんな矢先に、胆振東部地震が起きたんです。これまでボランティアの経験がなく、何から始めたらいいのかわからなくて気持ちばかり焦る日が続いていたのですが、大学の掲示板で『あるぼら』の案内を目にし、『これだ!』と思い申し込みました」

「あるぼら」は、まず厚真町で支援を必要としている団体を探すことから始めました。
コンタクトを取ったのは、この地で起業したいという人を支援するローカルベンチャースクールやふるさと納税の取り組みを行う、㈱エーゼロ厚真。この会社の取締役である花屋 雅貴さんが案内役になり、厚真町の現状を知るための訪問が実現。金谷さんと五十嵐さんの二人が、土砂崩れのあった被災現場とともに、復興を目指す農家のみなさんのもとをめぐりました。

「私たちが訪れたのは1月の初めでした。すべての避難所は閉鎖され、支援物資の受け入れも終了していたので、落ち着いたのだと思っていたのですが、実際は土砂崩れによる凄まじい状態はそのままでした。テレビなどでは放映されなくなっていたので、実際に自分の目で確かめることの大切さを感じました」(五十嵐さん)

このとき二人は、平飼い養鶏を行う小林農園と稲作や原木シイタケ栽培を行う堀田農場を訪ねて、被災状況を聞いたそうです。小林農園のあった山間の地域は土砂に埋もれてしまい、少しずつ規模を広げていった農園も、大切に育てた鶏も、新築したばかりの住宅もすべて失うこととなったそうです。
堀田農場では、収穫期を目前にしたシイタケのほだ木が2万本以上倒れ、水田は沼地のようになり収穫ができなかったといいます。

「実際に被災しなければわからない点が多々あるとは思いますが、とても凄まじい惨状だったのだと思います。しかし、驚いたことに小林さんも堀田さんもその惨状に屈するのではなく、再スタートしようとしていました。小林さんは震災から1週間で気持ちを整理し、光の速さで立て直しを進めていました。堀田さんは震災後すぐにほだ木を棚に戻す作業を始め、周りのみなさんの助けになれないか模索されていました。並大抵の人ではここまでの被害を受けてすぐに立ち直ることは難しいと思います。厚真町の農家さんのパワーを感じるのとともに、私たちもそんな農家さんの助けになりたいと思いました」(五十嵐さん)

「小林さんも堀田さんも、雪が解け農作業が本格化したときの人手不足が不安とおっしゃっていました。4月から本格化する農作業で私たちあるぼらにできることがあれば積極的に訪ねようとメンバーで話し合いました」(金谷さん)

この訪問で「学生のみなさんが来てくれるだけでうれしい」という言葉を聞いた二人。
翌月に19回目となる地域の一大イベント「スターフェスタ2019 inあつま」&「第19回ランタン祭り」が開催されることを知り、まずはこのお祭りのお手伝いをしようと考えました。

地域の人々と関わる中でわかった、自分たちができること

2月2日の朝、北海道大学の5名の学生が、ランタン祭りの会場に集まりました。
当初はランタンを並べるサポートをしようと考えていましたが、なんと、会場入口の広々とした斜面が「あるぼら」に割り当てられ、ランタンの演出という大仕事をまかされました。

「厚真町のみなさんが私たちを温かく迎え入れてくださったことを何よりもうれしく思いました。初対面でも優しく接してくれたうえに、メインとも言える大きな斜面を貸してくださり、自由にランタンを並べさせてもらいました」(五十嵐さん)

思いがけない展開に驚きつつも、5名はある文字をランタンで浮かび上がらせるアイデアを思いつきました。
斜面は雪深く、装備が軽装だったため、靴もくつ下もびっしょり。
風が吹き荒れ、日中でも氷点下の凍えるような寒さを体験しながらも、学生たちは終始笑顔で元気いっぱいでした。

「私たち学生にできることは限られているなかで、こうやって会いに行くだけでも喜んでくださるのはとてもうれしかったです。また、みなさんの明るい人柄や前向きな姿勢に私たちもがんばろうという気持ちになりました」(金谷さん)

いま、「あるぼら」では、花火大会と雪まつりの運営アルバイトで得たお金で、「あつま森のようちえん ワッカ」への支援を検討中といいます。
この団体は、就園前の親子が一緒に森で過ごす活動を続けています。
また、ランタン祭りと同じ日に、「ワッカ」が協力した講習会「乾燥野菜をはじめよう~野菜との上手な付き合い方~」も開かれていました。
震災直後、野菜が思うように調達しにくい状況があることを知り、藤女子大学の村田まり子先生を招いて乾燥野菜の調理方法などを学ぶ機会が設けられたのです。
ランタン祭りの設営後、「あるぼら」のメンバーはこの講習会に参加。
こうした地域のみなさんとの交流を重ねる中で、「あるぼら」らしい支援の道を学生たちは探っていました。

「ランタン祭りへの参加で、直接触れ合うことの大切さを実感しました。同じ北海道で暮らす若い私たちがマンパワーとしてお手伝いすることができたら、より厚真町に元気を届けられるのではないかと思いました」(五十嵐さん)

「『あるぼら』が、多くの学生に厚真町を好きになってもらえるような架け橋としての役割が果たせたらと考えています」(金谷さん)

陽が沈みかかった頃、約5000個のキャンドルの一つひとつに火が灯されました。
今回取材した「あるぼら」の支援は、ほんの小さな取り組みと言えるかもしれません。
けれど、キャンドルのような小さな光でも、無数に集まることで大きな輝きになっていくように、「誰かの役に立ちたい」という学生たちのピュアな想いは、きっと未来の厚真をつくる原動力の一つとなっていくことでしょう。

 「あるぼら」のメッセージが日暮れとともに浮かび上がった。



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