「境界を超えて、世界をかき混ぜる」。地域に入り込み、「生きる」・「暮らす」・「人生」と向き合い続けた3年間。北海道厚真町から人や事業をつなげ続ける先に見据える世界とは。
2022年3月18日
北海道厚真町で2016年から開催されているローカルベンチャースクール(以下、LVS)。2019年1月、このプログラムに参加し、その後、厚真町で起業し「Mobility meets Community」(以下、ミーツ)というサービスを立ち上げ、「地域の移動問題」に取り組む成田智哉さん。LVSではメンター(助言者)として関わり、その後も厚真町でその活動を見続けた花屋雅貴(株式会社エーゼロ厚真 取締役)が、「厚真町での3年間」を振り返るインタビューを行いました。
厚真町は今年もローカルベンチャースクール2024を開催します。エントリーをご希望の方はこちらをクリックしてください。
地域コミュニティの可能性は、地域の課題を解決し、世界にも通じる。
――まずは厚真町で起業するまでの経緯を教えてください。
大学卒業後、トヨタ自動車に就職、人事を担当し、最後の勤務地はブラジルでした。アマゾン川で30歳を迎えるにあたって「もっと修行したい」と思い、そのために「自分で事業をする」ことを決意しました。退職して最初は東京で起業をと考えていたのですが、人の縁があり厚真町の「ローカルベンチャースクール(以下、LVS)」のことを知り、翌週が締め切りだったので急いでプランを作り参加しました。
――懐かしいですね。あらためて厚真町のLVSはどうでしたか?
締め切りを作ってアウトプットすることや、第三者に評価してもらうことは大事なことで、メンターとのやりとりを通じて事業が磨かれていく感覚がありました。自分は千歳市出身で厚真町は隣町なんですけど、学生時代はやはり札幌とか都会の方を向いてしまいます。そのまま東京や海外に行ってしまったので、こんな近くに山・畑・海があって、自然豊かな場所があるんだというのも発見でした。
――個人的にとても驚いていることがあって。数日で作りあげたプランが、ブレることなくそのまま3年間活動を続けられている。それは本当にすごいことだなと。
確かにそうですね。でも、「課題が明確」だったからという気がします。地域で生きる上で、移動手段としての車は必須。だけど、高齢化が進めば免許返納も必要で、移動難民が出るのは必然。車の自動運転技術なんかも研究・開発が進んでいますが、それが社会実装されるにはまだまだ時間がかかることは、前職での知見がありました。「ビジネスは課題を解決することが重要」で、その課題が明確だったからこそやれていると思います。
――成田さんのアイデアは移動手段である「モビリティ」の話だけでなく、「コミュニティ」を意識しているのが特徴的ですよね。
退職後、起業プランを練る間、全国のいろんな地域を訪れ、そこで地域コミュニティや地域コミュニティのつなぎ役になる人材の価値を感じていました。また、車での移動時間をある種のコミュニケーションの時間と捉えてみる。1秒でも早く、1円でも安く移動するのではなく、互いに支えあいつながるための時間。車の中をある種の「出会いの場」と考える。都会のように資本主義的合理主義だけの論理ではなく、「共助・互助」の精神も大事だし、地域にはそれがあると思います。だからモビリティと地域コミュニティは、とても相性がいいと思いました。もちろん、経済から逃げないことも大切です。
――経済の話が出ましたが、起業とお金は切っても切り離せません。成田さんにとってLVSの仕組みはどのようなものでしたか?
起業するにあたっては資金が必要です。起業し操業する資金を調達するためには投資家にお金を出してもらう、銀行で借りる、といった手段もありますが、LVSの場合は「国や地域から資金調達」してもらっていて「地域の応援を受けている」と思っています。だからこそ、しっかりと地域に責任をもって活動する。地域の課題に向き合い、それを解決するような事業が立ち上がるには時間がかかります。その時間をサポートしてくれる仕組みだと思っています。
――そのあたりの考え方がとても「ローカルベンチャー的だな」と感ます。
LVSに参加したときに、メンターの方に「3年後に起業をと考えるのではなく、3年間を助走期間としてとらえ、失敗を恐れずしっかり挑戦していけばいい」とアドバイスもありました。
――なるほど。僕らはそういうことを言いそうです。さて、コミュニティづくり、人と人をつなげていく活動としてどんなことをしてきましたか?
いろんなことがあるんですけど、まずは震災後にみんなが集まれる場所を作りたいということで、厚真町の若手メンバーと一緒になって「イチカラ」というコミュニティスペースを作りました。地域交通の課題を扱うにあたっては国との調整も必要で、厚真町、北海道、国(国土交通省)と行政の垣根も超えてアプローチしていきました。「シェア畑」として、畑の一部を会員制でシェアして「素人のちょっと大きな家庭菜園」を行い、作った農作物でカレーを作る事業もやりました。厚真町だけでなく、「北海道全体を盛り上げよう」と北海道の大企業の社長さんや産官学のプレイヤーと共に「えぞ財団」という一般財団法人を作り、全道に仲間ができました。サッポロビールさんとのご縁で「ほっとけないどう」という北海道で挑戦する人を応援する仕組みなんかも作りました。
――3年間の総括と今後のことについて教えてください。
30歳までは「広い」世界を見ることをしてきましたが、ある意味で「浅かった」。この3年間は「狭いけど、深く」見て関わることで、ものごとの解像度が上がり、豊かさがとても感じられました。おばあちゃんと話をしている時間や、地元の方との何気ないやりとりが本当に勉強になります。起業すると仕事と休みの境目がなくなるので、この間で完全にオフという日はほぼなく、何かしら活動しており、走り切った毎日と言えると思います。今後のこととしては、まずはミーツの事業をしっかり形にしていくこと。これをやりきりたい。全国で過疎化や高齢化は進んでいるわけですから、厚真町で再現性ある形で事業を構築できれば、全国にある47都道府県1741市町村のうち多くの自治体に広げていける可能性があります。「高度なテクノロジーだけじゃなく、温もりあるコミュニティをうまく活かして日本を面白くしていくぞ」と思っていて、世界にも広げていきたいです。
――いいですね。本日はありがとうございました。今度は「ミーツ事業」について詳しく聞かせてくださいね。
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