「僕はまちと人をつなぐミツバチ役」。神戸と厚真町の2拠点生活でさまざまな展開を生み出す『フェリシモ』の三浦卓也さん

2019年3月28日

現在厚真町役場に出向し、さまざまな出会いと化学反応をもたらしている人がいます。
神戸市中央区に本社を持つ通販の大手『フェリシモ』の社員、三浦卓也さんです。
三浦さんは同社の新しい事業や子会社をつくる部署に所属しながら、厚真町役場にも現れる、ユニークな存在。どうしてそれが実現できているのでしょう?
その背景には、三浦さんの「生き方・働き方の選択」がありました。

厚真町は今年もローカルベンチャースクール2024を開催します。エントリーはこちら

義父の北海道の暮らしに憧れて

— 厚真町に関わる前、三浦さんは『フェリシモ』でどのようなお仕事をしていたのですか。

三浦:2000年に入社し、プロモーションの部署に配属され、カタログ制作、ファッション事業の開発、ブランディングなどをしていました。その後はウェブマーケティングの責任者や、新規事業の開発なども担当していました。

— 2000年から現在までというと、ネットが普及してスマホが登場し、『フェリシモ』も成長して上場するという、社会と会社の大きな流れのなかにいらしたのですね。

三浦:そうですね。その流れのなかで、もがいていた感じです。

— もがいていた?

三浦:仕事は刺激的で、やりがいもありました。厚真町とのご縁ができたときは、新規事業開発のCOO的な仕事の傍ら、ほかの仕事も牽引していたんですよ。

でも、だんだん今後の生き方や働き方について考えるようになったんです。正直に言うと、多忙で僕が家庭でピリピリしてしまったり、妻に子育てを任せきりになったりして、「果たしてこれって幸せな状況だろうか?」と悩んでいました。

三浦さん。『フェリシモ』本社にて。
 

— 厚真町とのご縁は、どのように?

三浦:妻が、厚真町の隣にあるむかわ町の出身なんです。入社3年目の2002年に結婚し、その頃からむかわ町に行っていました。

妻の実家では、会社員の義父が「毎朝、通勤が楽しくて仕方ない」って言うんですよ。あるとき僕も一緒に行ってみたら、毎朝車で、馬と触れ合えるテーマパーク『ノーザンホースパーク』の農道を通っていくんです。牧場の間を抜けて通勤していて、しかも「夜は温泉に入って帰ってくるから遅いよ」と言う。「いいなぁ。いつかこういう暮らしがしたいな」と思っていたんですね。

また、長男は樹木がもともと好きで、とくに北海道の針葉樹に魅了され、ずっと「僕は将来、樹木医になる」と言っているんです。

厚真町の夕陽。(写真提供:三浦卓也)

背中を押した「“人生の経営者”として生きよ」という言葉

— 2017年4月に三浦さんが厚真町に行くことになったきっかけは、そうした個人的な思いからだったんですか? それとも会社の意向で?

三浦:完全に個人的な思いです。その前年に、厚真町で初めて「厚真町ローカルベンチャースクール」が開催されるとFacebookで知ったんです。

厚真町には、むかわ町の滞在中に義父が「こぶしの湯あつま」によく連れて行ってくれていたので「あ、あの厚真だ!」って思ったんです。まちの中心部が洗練されていて、森に囲まれた「フォーラムビレッジ」などもあり、「いいところだ」と思って見ていたんですよ。

その厚真で地域をおこす仕事をつくる、という呼びかけに、衝動的にエントリーしてしまいました。と言うのは、入社時に当時の会長から「君たちは会社員であっても“人生の経営者”。会社に使われるのじゃなく、会社を使って社会に対して何を成したいのか。何ができるのか真摯に向き合い“人生の経営者”として生きなさい」と言われたことがありました。

その言葉がずっと心に残っていて。自分ももう40歳を過ぎていますし、チャレンジできるのも今がラストチャンス。自分が地域社会に対して会社を「使って」何ができるのか? に挑んでみたいと思い、迷わず参加しました。

とはいえ、スクールでは非常に悩みました。実際に自分が「住みたい」「いい空気だ」と思った地域に入ることと、会社としてどんなことができるのかが、つながらず、いっそ会社をやめて地域に入るか、それともここであきらめるか……という葛藤がずっとありました。

そんなとき厚真町役場の方から「『地域おこし企業人』っていう仕組みがあるよ」と聞き、「ほぉ、そんな仕組みがあるんだ!」と。自分にとっては渡りに船でした。「地域おこし企業人」とは、地域おこし協力隊の企業版と言えるもので、総務省が展開するプログラムです。民間企業の社員が地方に派遣され、地域の課題に取り組みます。任期は3年間です。

— それを三浦さんから会社に提案したのですね。

三浦:はい。魅力を感じましたが、会社としても人を派遣するのは大きなことですし、自分も責任のある仕事をしていたので、「事業をつくれたらいいけど、つくるためには入り込まなきゃいけない」という葛藤もありました。

でも、社長と話して「ちゃんと仕事をつくりに行きます」と伝え、「『公務員兼会社員』で、半分は公務員なんですよ」と言ったら「おもしろそうやから、いいんちゃう? 今の仕事もちゃんとやるのだったらいいよ」と言ってくれたんですよ。それで行けることになったんですよね。

— では『フェリシモ』のお仕事もしながら、厚真町の仕事も?

三浦:はい。厚真町には月に1週間ほど滞在するペースで、神戸との2拠点生活が始まりました。厚真町では、リモートワークですね。席のある役場から帰って仕事したり。

2拠点生活になったのは、樹木好きの長男が当時中学3年で、受験生だったんですよ。「一緒に移住して北海道の高校に行けたらベストだね」って話していたのですが、中学3年で別の地域に引っ越して高校受験をするのはめちゃくちゃ大変だと、僕の厚真行きが決まってから分かって。「ええっ!?」って(笑)。でも、息子が大学などで北海道に来る礎をつくれたらいいなと思っていて、家族は実際に遊びに来ています。

厚真町のサーフショップtacoo前にて。(写真提供:三浦卓也)

厚真町の外にいるおもしろい人を連れてくるミツバチ役になる

— 厚真町に入ってから最初にしたのはどういうことだったんですか?

三浦:実は、最初は何をしたらいいのか分からなくて。「厚真町ローカルベンチャースクール」で知り合いはいましたし、関係性は築けたんです。厚真町の魅力は「人」で、みなさんが地域に対してポジティブでオープンマインド。受け入れてくださる。悲観的にならずにチャレンジする姿勢を持っている方が多く、話していてたくさんパワーをいただけるんですよね。

でも「じゃあいざ会社を使って何をする?」と考えるとすぐには分からなくて、空回りしていた部分があったんですよね。

初めての仕事は、石けん「GOTOCHI SOAP 北海道厚真町産ハスカップのソープ」の商品化でした。旭川に農産物を使った石鹸をつくっている美容師さんがいて、「(厚真町の特産品である)ハスカップで石鹸がつくれませんかね?」とご相談し、特産品開発をしている方におつなぎしたんです。そうしたら、あっという間に形にしてもらえました。このソープは、『フェリシモ』と厚真町のふるさと納税で購入できます。

石けん「GOTOCHI SOAP 北海道厚真町産ハスカップのソープ」。(写真提供:フェリシモ)
 

あとは、あつま田舎まつりで特産品を売る仕事をしたり、神戸の本社スタッフの合宿を厚真町でやったりして、「どうしたら厚真での自分の仕事と会社がつながるかな」と1年間模索したんですよね。

そんな時、『フェリシモ』の仕事であっても厚真町の名刺も一緒に渡すようにしたら、会社だけではつながらないような人とのつながりができることが分かりました。「地域おこし企業人」の立場は、とてもいいなぁと思った瞬間です。名刺をもう一枚出すと相手方が「え? 厚真町なんですか?」とおっしゃって、そこから厚真の話をすると興味を持ってくださったりするんですよね。「厚真」というキーワードで響く方がかなりいらっしゃると実感し、だんだんそういう経験が腑に落ちてきました。

— 神戸で、厚真町のジンギスカンのお店もされましたね。

三浦:そうですね。知人から「神戸におもしろい居酒屋チェーンがある」と聞いて、全国各地の郷土の食文化を通じて郷土と地域をつなぐ郷土活性化企業『ワールド・ワン』さんと出会ったんです。社長さんに会いに行ったら、「牡蠣小屋っていう居酒屋が一旦季節的にクローズになる」と聞き、「そのあと、ひつじ小屋にしませんか?」と提案したら、「おもしろい!」となって(笑)。

厚真町のジンギスカンの特徴は、網焼きです。油が落ちて、ジンギスカンが苦手な人も食べられるんですね。それを全力でPRしたら「いいですね」っていう話になって、社長さんが厚真町へすぐ来てくれたんですよ。

準備し、期間限定でジンギスカン店をオープンしました。厚真町の最大のお祭りである「あつま田舎まつり」での、野外でジンギスカンを楽しむ「草原焼き」の写真を店内で見せて、そういう地域に根ざしている文化も伝えながら、まちのど真ん中でジンギスカンを焼く。不思議な光景ですけど、みんなで焼いている景色がいいなって。厚真町長も来てくださいました。

期間限定でオープンしたジンギスカン店『ひつじ小屋』。(写真提供:三浦卓也)

それで型が分かったというか、「こういう動きをすればいいんだ」と分かったんです。僕は、地域の外にいるおもしろい人を連れてきてまちと人をつなぐミツバチ役で、地域の化学反応をつくろう、と。ミツバチ的動きをすると、何か新しい事業の種が生まれる。そこから会社の仕事も動きだすかもしれない、と見えてきたんですよ。

はじめは「自分だけで頑張ろう」と思っていたんです。それは地域の人も同様で、自分だけで頑張ろうとされていたりする。一つずつの独立した歯車です。そこにもう一つの歯車を入れると、僕と地域の人と連れてきた人の三つの歯車が動き出す。そして最終的には、会社が動き出す——。

そういう流れがつくれるなと分かったので、そこからは足りない歯車を一つはめてくれる人を僕がどんどん連れてこようと、意識しました。

震災後、ビジネスで挑戦する人を応援する新会社を設立

— 2018年9月の北海道胆振東部地震発生時は、厚真町にいたそうですね。

三浦:はい。厚真町の自宅にいて、いきなりバーンと揺れて「ヤバい」と思って。まちの電気も全部消えているし、すぐ近くの役場に行くしかないと思って行ったら、これは大変なことになったとだんだん分かってきて。

それから4日間ほど、役場から水や食糧を配給する手伝いをしました。道が寸断されているところもあり、農道を通って物資を持っていったりして。その後、「何ができるんだろう。どうしたらいいんだろう」という想いがこみ上げてきました。ヘリコプターで救助された友達が裸足だったので、スニーカーを貸してあげたんですけど、本当にそれしかできなくて……。

『フェリシモ』が発行する広報誌では、三浦さんの厚真町への思いや震災後のまちの様子が掲載された。(本記事のカバー写真はその広報誌用に撮影されたもの)
 

3日目か4日目ぐらいに、被災された方たちが絶望的な状況のなか、「それでもここでやります」「もう1回頑張ります」って言い始めたんです。一緒の時期に移住した地域おこし協力隊の佐藤稔くんも「三浦さん、俺やっぱここで頑張りますわ」と。この地域に必要なのは、「この先どうしていくか」をやることだと思ったんですよね。

じゃあどうやってまちの未来をつくっていくか。その後東京で、それを社長と話しました。産業の復興というか、地域の希望をつくることができないかなと思って、「ここでもう1回やる」と決めた人たちを支援したいと話しました。

もともと会社に、可能性のあるベンチャー企業に対して投資を行うCVC(Corporate Venture Capitalの略)をつくる計画があったんですよね。そこで震災からちょうど3ヵ月後にあたる12月6日に設立したのが、『フェリシモ』の100%出資の子会社『hope for』です。

事業性・独創性・社会性を併せ持つビジネスに挑戦する事業者に向けたCVCで、僕は取締役になりました。「地域に希望をつくる。それが日本の希望になる」を旗印にしています。今、お酒のベンチャー企業などと、一緒に何かできないか計画しているところです。地域の社会を維持していくのに、個人や行政だけでは回らなくなっているところを事業としてかみ合わせていくことが、企業の役割なのかなと思っています。

— かつて悩んでいた時期を振り返ってみて、今はどうですか?

三浦:『フェリシモ』の自分も厚真町にいる自分も、両方自分なんですけど、少し違うモードで、今は両方いい感じで回っているんですよ。自分にとっていいバランスです。おかげさまで、すごく充実しています。

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聞き手・文=小久保よしの
エーゼロ(株)道上慶一
写真提供=(株)フェリシモ 三浦卓也

株式会社フェリシモ
住所:〒650-0035 兵庫県神戸市中央区浪花町59
ホームページ:https://www.felissimo.co.jp/



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