「頭で考えるだけでは道は拓けない。行動あるのみだった」。震災や挫折を乗り越えて、厚真町で迎える3年目の「覚悟」。
2020年3月23日
「以前の僕には、そこまでの覚悟がもてていませんでした」。
そう話すのは、北海道・厚真町に住むローカルデザイン・プロデューサーの田中克幸さん。
田中さんは東京都小平市出身で、2018年に厚真町へ移住しました。
厚真町で過ごす3年目が始まる今、何を感じているのでしょうか。
厚真町での2年について語ってくれました。
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「厚真町でないとつくれないものって何だろう」
— 田中さんは東京都に住んでいたときは何の仕事をされていたのですか。
田中:プランナーとして企画・販促プランニングや商品開発の仕事をしていました。満員電車で通勤して、終電で帰ってくる。食事はコンビニのご飯が中心で、シェアメイトとの分担でたまに自炊するような暮らしでした。
毎朝新聞を7誌ほどチェックして、雑誌は30誌くらい見て、情報を日々たくさんインプットして、常に企画のネタを考えていましたね。大手のメーカーの大量生産・大量消費型の仕事だったので、スピードも大事で「これは(ほかで)やられてないし、やっていこう!」とまるでコンピューターのようにものをつくって出して。僕の場合は、今思えばそれって結局、コピー&ペーストばかりだったんです。
それで、地域に根ざした仕事をしたいと思う様になったんです。美大時代にデザインの視点からまちを興す活動に参加し、もともと地域への関心をもっていました。そんなときに地方の起業家やクリエイターから、厚真町の地域おこし協力隊制度を活用した仕組みを聞いたんです。厚真町に何度も足を運び、まちに可能性や親しみやすさを感じて、エントリー。2018年4月に厚真町に移住しました。
今は、ローカルデザイン・プロデューサーという肩書きで、地域ならではの新しい価値観をじっくり見いだすための“ファームするようなデザイン”というコンセプトで活動しています。東京時代のようにスクラップ&ビルドを繰り返すのではなく、厚真の風土や人と「どうやったらワクワクするか」「厚真町でないとつくれないものって何だろう」と模索しながらデザインしています。
— 具体的には、どのような事業をされているのですか。
田中:相談に乗ってプランニングを立てたり、マーケティングをしたり、パンフレットやロゴマークのデザインをつくったり、農家さんなどが何かをされるときに人と人をつなぐコネクターをしたり、いろいろしています。
一つは、2018年にハスカップのPRビデオを製作したんです。東京で開催されるハスカップのPRイベントがあり、ハスカップを知らない人たちに畑の様子や手摘みの風景を伝えるためにつくりました。その映像を厚真町の農協『JAとまこまい広域』さんにお見せしたら、「ほかの作物でもつくってもらえませんか」というお話をいただいたんです。現在、20周年に向けたプロモーションビデオなどをつくっています。
朝方3時からの収穫を手伝い、さらに撮影させてもらって、現場を知るようにしています。収穫だけではなくて、どういう思いで農業をやっているのか、普段のビニールハウスの手入れや機材のメンテナンス、何気ない所作などにも密着しています。
農協さんのお仕事で学ばせてもらったのは、厚真町の寒さや水の特性を理解して、加工までを見据えて良い作物をつくる努力をされている農家さんが多いことです。ものづくりやデザイン、プランニングの仕事に通ずるところがあって、仕事のベースの哲学として勉強になりました。厚真町に身を置いて、自然や人と触れ合って見ることができた景色は、デザインにつながっていきます。
それに、僕の頭の中もフレッシュになって、すごくいいんです。厚真町は高いビルや建物がありませんし、頭上の視界がとても広いんですね。それって、クリエイティブするうえで頭が整理されます。クリエイティビティを高めてくれる一つの要素になっていると感じて。例えるなら、キャンバスみたいですね。
農協さんのプロジェクト以外では、中学生がまちへの愛着をもつための、厚真町の風土から形をとってオリジナルフォントをつくるデザイン教育セミナーをさせてもらったり、札幌の『SouseiMarche(ソウセイマルシェ)』で『三日月農園』さんと一緒に1日限定マルシェに出て写真や動画のお手伝いをしたり、「Rethink Creator PROJECT(リシンククリエイタープロジェクト)」の一環として視点を変えて地元の魅力を新しく発見するためのポスターづくりをしてアワードやコンテストで発表したりしています。
震災で、地域の人と苦楽を一緒に乗り越えたという絆ができた
— 移住後、生活面で大変だったことはありましたか?
田中:自分一人で新しく生活のリズムをつくっていくのはわりと大変でした。東京にはたくさんあるコンビニは、近所にはありません。でも、それも一つのエッセンスととらえて、自炊をし、つくり置きもするようになりました。
農家さんからいただいた野菜をありがたく食べきろうとすると、一人じゃ食べきれないので、切って冷凍保存する。工夫が生まれますし、そういう生活の作業も楽しめています。いただいたものを料理にしたときは、農家さんに報告もしています。「ハスカップでローストビーフ丼のたれをつくりました」と報告したら「そういう食べ方をするんだ!」と驚かれましたね(笑)。
また、地域に積極的に出ていくようにしました。せっかく来たのだから、そういう人との触れあい、仕事の付き合いだけではない部分も大事だと。パークゴルフ、盆踊りなど、町内の催しに積極的に出ていたら「よく来てるね」と声をかけられるようになりました。
— 田中さんが移住した年の9月に、北海道胆振東部地震が起きましたね。
田中:移住した約半年後でしたし、大きな経験でした。自宅は被害が少なく怪我もなかったのですが、震災直後は近所の『厚南会館』が避難所になり、そこで迎えていただきました。その恩もあって、避難所の運営のお手伝いをさせてもらって。地域の人と苦楽を一緒に乗り越えたという絆ができ、とてもよかったです。地域のお祭りなどに参加しただけでは出会えなかった方もいらっしゃるし。地域で仕事以外の仲間ができたことは、僕の財産になっています。
今でも、仲良くなった人たちと海辺でバーベキューをしたりしていて、そういうプライベートの楽しさもあります。先日は、地区の新年会の三次会を僕の自宅で開いて、男ばかりで盛り上がって楽しかったですね。
今思えば、東京時代は生活の一部分しか自分でやっていなかったように思います。ほかは外食やサービスなど、ほとんどが“外注”。でも今は、働き方やライフスタイル、仲間づくりも含めて、1から関わって僕の血肉になっている実感がもてます。このまま積み上げていきたいです。
自分の幹のようなものが太く育ち、自信がついた
— 田中さんは厚真町の、自分の役割や道筋を探る「ローカルライフラボ(※)」研究生としてまちへ入ったのですよね。
(※編集部注釈:2020年現在は「ローカルベンチャースクール」として募集。「ローカルベンチャースクール」は、厚真町で起業したい人がエントリーし、一次選考・最終選考を経て起業への決意やビジネスプランをブラッシュアップ。採択されると最大3年間、厚真町で地域おこし協力隊になり、起業して自立を目指す制度)
田中:はい。「ローカルライフラボ」は、自分を変えるきっかけの一つになる仕組みで、いい意味での敷居の低さが特徴です。「ローカルライフラボ」研究生として働き方や生き方を探究し、当時はさらなるステップアップとして起業をする「ローカルベンチャースクール」がありました。
僕にとっては、これが良い二段階だったと思っています。というのは、2018年にまちへ入り一年後に「ローカルベンチャースクール」へ昇格できるかどうかのプレゼンテーションがあったのですが、一年目は落選してしまったんです。判定を聞いたとき、僕は負けず嫌いなので「なんでだろう」と納得できず、役場の方に聞いたりして……。
起業となれば覚悟が求められますが、今思えば、当時の僕にはまだそこまでの覚悟や芯の部分がもてていませんでした。当時は夢中で自分自身を客観視できていなかったんですけど(苦笑)。振り返ると、当時は「合格するためのプレゼン」を意識しすぎて、繕った部分があったのかなと。
悔しかったですし、少し落ち込みましたけど、そこでくさるというよりは「次の一年でやろうと思っていることは、結果がどうであれやっていくんだ!」と思えたんです。「じゃぁやってやるぞ」と、悔しさをバネに進んだ感じでした。あのときプレゼンへの取り組み方が“受け身”ではなく“自発的”に切り替わったのかな。
今では、一年前に合格できなかったことを納得しています。その後、仕事の経験や時間の経過、振り返りもあって、自分の幹のようなものが太く育ってきて「これが覚悟なのかな」と思えるようになりました。まちへ入って2年経ち、またプレゼンを受けたのですが、今回は無事に通ったんです。今回のプレゼン前は「結果がどうあれ、これでいこう」と思えていました。
まちで自分自身がいかに楽しめているか
— お話を聞いていると、今は肩の力が抜けていているかんじですね。振り返りや実践のなかで、自信がついたのでしょうか?
田中:「デザインやプランニングの考え方やノウハウは、地方でこそ最大限に活かせる」という確信をもって厚真町に移住してきたのですが、その説得材料やそれらを裏付ける実績がまだ少なかったので、不安や迷いがありました。
ですが、実際に活動するにつれて、そんな手探り感の不安や迷いから、「今やろうとしていることで突き進むんだ」と腹をくくる覚悟ができました。月並みですけど、「頭で考えるだけでは限界があるし道は拓けない。人や風土に五感でたくさん触れて、行動あるのみだった」と実感できて、それが自信につながりました。
「ローカルベンチャースクール」は、働き方や生き方に迷っている人はもちろん、「成長したい」というちょっと負けん気の強い人にオススメです(笑)。自分を肯定してほしい人が来るところではないのかなと。あ、偉そうなことを言ってすみません。「何をやりたいかわからないから来ました」「自分を肯定して欲しい、不安を埋めてほしい」と思うのは、僕も1年目にそういう部分があったので気持ちは分かるんですけど……。
「ローカルベンチャースクール」は、まちで自分自身がいかに楽しめているか、無理をしていないかが、とても大事です。楽しめているからこそワクワクしますし、満足感の先で「何をしようか」と自分の道が見えてくるのだと思っています。
— 田中さんは今、どんな未来を見ているのでしょう。これから3年目を迎え、地域おこし協力隊の制度の最終年度になりますね。
田中: 2020年6~7月に札幌の電機店のギャラリースペースで展示“厚真の手仕事×アールブリュット展(仮)”を行う予定です。また、ローカルのライフスタイル、ワークスタイルに適したプロダクトとして、例えば一次産業の従事者が使う服やバッグをつくろうと、今考案中です。
地域おこし協力隊を卒業した後はどうなるのか、以前は読めなかったんですけど、今は道内でいろいろな方から声をかけていただいています。広告関係のほか、引き続き厚真町でできることにもきちんと時間をかけられるよう、形態を練っていく必要があると考えています。
今は、自分の価値観やライフスタイルがモデルの一つになればと思い、自分自身を実験台として活動しています。僕の影響を受けたと言ってくださった方がいたり、故郷にUターンした方がでたりしていて、厚真町にも都会から人が来てくれたらうれしいです。
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