子どもたちが「帰る」場所づくりと、私が「生きる」場所づくり。

2017年8月31日

「放課後子ども教室」をご存じでしょうか。放課後の子どもたちが安全に安心して過ごせる居場所づくりを目的とした活動で、文部科学省の推奨により全国に広まっています。厚真町では2012年度に放課後子ども教室を開設。この4月で6年目を迎えました。専任スタッフとして立ち上げからずっと活動を支えているのが、オフィスあっぷ・ろーど代表の上道和恵さん(愛称:うえちゃん)。「よそもの」である彼女が、どのように子どもたちの居場所をつくり、そして厚真町の中での自分の居場所を築いていったのか。その5年間のストーリーに耳を傾けました。

自分が育ったまちを、自分の言葉で語れる人に

– 上道さんが行っている放課後子ども教室について教えてください。学童保育とは何が違うのでしょうか?

上道:学童保育は、保護者が日中家庭にいない児童に対して遊びや生活の場を提供する保育事業です。分かりやすくいえば家庭の代わりです。厚真町では、上厚真小学校・中央小学校それぞれの地区に学童保育(放課後児童クラブ)があり、毎日放課後に児童を預かっています。
放課後子ども教室も児童を預かりますが、集まった子どもたちに体験プログラムを提供するというのがベースにあります。活動日は学校(上厚真小/中央小)と学年(1〜3年生/4〜6年生)で分かれ、子どもたちは週1回、自分が該当する活動日に参加することができます。
プログラムへの参加は基本的に自由です。事前に配布するプログラムの日程表を見て参加したければ参加し、興味がなければ参加しなくてもいい。「今日はおやつ作りだから行こう」とか、「みんなで話し合う遊び会議は苦手だからパスしよう」といったように選ぶことができます。もっとも最初から日程表を確認せずに毎回参加する子もいます。

プログラムの内容は、私ともう一人の専任スタッフ(佐々木千佳さん、愛称:ちっち)の二人で決めています。私は外遊びや自然体験のプログラムを考えることが多く、ちっちはスポーツを取り入れたプログラムが多いですね。もちろんそれぞれの得意分野だけではなく、おやつ作りや工作をプログラムに加えたり、4月だったらチームビルディングのようなレクリエーションを取り入れてみたり。おやつ作りのように人気のあるプログラムには1回で30〜40人が集まります。手が回らないほどになりますね。

– プログラムを作るにあたって、テーマにしていることは?

上道:当初、放課後子ども教室を立ち上げる際に関係者でワークショップを行い、体験活動を通して「コミュニケーション力」「社会性」「体力」「学習意欲」「行動力」といった力が身につくと仮定してプログラム作りを行いました。
ただ1年間活動をする中で、これらの能力はなにも放課後子ども教室だけでなく、学校や学童保育、習い事、家庭など、さまざまなシーンの中で培われるものであることに思い当たりました。すると、そこを到達点としてしまっては成果が見えにくい。
放課後子ども教室が成果として示せるものは何か?学校や家庭だけではやりきれないことは何か?それを突き詰めて考えたときに、放課後子ども教室が果たすべき役割は「子どもと地域をつなぐこと」だと思ったんです。だったらこれに注力しようとなりました。
それで現在は「自分が育ったまちのことを、自分の体験をもとに、自分の言葉で語れる人」を育てる、というコンセプトをもとに活動を行っています。

地域の資源(人・自然・産業・文化など)と子どもたちとをつなぐことは、放課後子ども教室が社会教育事業として担う役割の一つです。子ども達には、地域の資源に触れて、自分が暮らすまちの魅力を感じてもらいたい。まちを好きになってほしい。
そのため平日の通常教室では、身近な友だちと身近な環境の中で体を使い、心と頭で考える活動を提供しています。屋外のプログラムであれば季節感を意識して、春は山菜採り、夏は木登り、秋には木の実を探したり。冬はもちろん雪遊びを楽しみます。
また、地域の産業ともリンクするようにしています。厚真町はお米の産地なので、毎年冬には、稲わらを使ったしめ縄作りを体験します。

平日の通常教室のほかに、不定期で年10回ぐらい特別教室も実施しています。特別教室では地域の大人も巻き込んで、自分たちのまちを体験的に学べる場づくりをテーマに、プログラムを組んでいます。
農協青年部と連携して田植えや稲刈りをしたり、収穫したお米で作ったお菓子を商工会青年部と連携しながら地域の祭りで販売したり。ただ売り子をするだけでは面白くないので、商工会の方にアドバイスをもらって会場設営、仕入れ、ポップ作成、看板制作も自分たちで行います。当日はチラシ配り、接客、会計処理も行います。そして利益が出たら参加者みんなに給料として分配します。

– 放課後子ども教室を「閉じられた」教室ではなく、地元の大人たちを巻き込んで「開かれた」活動に発展させていったんですね。

田舎で暮らすセンスは誰にも負けない

– 上道さんはもともと町外のご出身ですが、厚真町に来た経緯を教えてください。

上道:2012年度から厚真町で放課後子ども教室を事業化するにあたり、教育委員会からNPO法人ねおすに業務委託の打診がありました。

– NPO法人ねおすといえば、北海道では自然体験活動の草分け的存在ですよね。

上道:当時、私はねおすの職員で、担当スタッフとして厚真町に派遣されたんです。最初の2年間は試行期間。その間に成果が出なければ事業の継続はありませんでした。2年間で放課後子ども教室を周囲に認めてもらうには、1年目のスタート時から2年目の終わりを見据えた活動をしなければいけません。とはいえ町内に知り合いはゼロ、放課後子ども教室そのものもゼロベースからのスタート。自分自身で厚真の資源を開拓しなければ次の一手が打てません。それで、自分から積極的に外へ出て行かなければ何も始まらないと思い行動していきました。

最初はとにかく子どもが参加する行事に顔を出しました。小学校の運動会や学習発表会、地域のお祭り。子どもと顔が合わせられる場所には必ず行く。そこで子どもたちを通じて保護者の方々との接点を作りました。顔が見える方が保護者も安心して子どもを預けられますよね。

地域の集まりにも積極的に顔を出しました。その年、教育委員会の主導で「あつま次世代担い手養成塾」が始まり、農協青年部や商工会青年部、役場の若手職員が集まって月に1回、勉強会をしたんです。私もオブザーバーとして強引に仲間に加えてもらいました。
あるときそこで知り合った農協青年部の方に、子どもたちを生産現場に連れて行きたいとお願いしました。すると二つ返事で「いいよ」と言ってくれたんです。さらには「どうせやるなら青年部と一緒にやろう」と提案してくれました。それで2年目から特別教室が始まったというわけです。

– なるほど。積極的に関係づくりを行った結果、プログラムの発展につながったということですね。一方で移住された方に話を聞くと、地域住民との関係づくりに苦労するという話をよく聞きます。

上道:私自身も田舎育ちなので田舎特有の感覚は分かっていました。例えば、地元の人からすると、外からポッと来た人たちが目立つ活動をすると、「何?この人たち」という感覚になるわけです。だけど本当のところは何をしているのか知りたい。知りたいけれど直接聞けない。そうやって周辺にいろいろ聞き回るうちにどこかでねじ曲がった情報が入ってくる。結果、うまくいかなくなる……よくあるパターンです。

– 田舎に住む人の心境を熟知していたからこそ、1年目の積極的な関係づくりがあった。そして子どもたちはもちろん大人も含め、多くの人から「うえちゃん」と呼ばれ親しまれる存在になっていったんですね。

社会教育からまちづくりへ

– 現在の活動の出発点について聞かせてください。なぜ社会教育活動に興味を持ったのでしょうか。

上道:出身は道北の浜頓別町です。保育士の母はさまざまな地域活動に携わっていましたが、小さな私を家に置いて出歩くわけにもいかず、子連れで会議に参加することがよくありました。そのときに私の相手をしてくれたのが地域の大人たちでした。
そうした子どもの頃の記憶、地域の大人たちから受けた優しさというのがずっと私の中にあるんですね。そのご恩を大人になった今、次世代にお返ししようというのが私の原点です。

– 受けた恩をほかの誰かに手渡す。「恩送り」という言葉がありますが、まさにそうした思いを抱く中でNPO法人ねおすを知り、大学在学中にボランティア実習でNPOの活動に参加したというわけですね。

上道:はい。活動に携わるうちに社会教育を通じたまちづくりの仕事がしたいと思うようになりました。それで卒業後、民間企業を経て2011年にねおすに入りました。最初の1年は札幌の事業を担当しました。その頃、厚真町から放課後子ども教室の事業委託の話がねおすにきて、私に声が掛かりました。

– だけど冒頭でお話いただいたようにゼロからのチャレンジで、手探りの中でプログラムを築き上げていった。

上道:町にとっては私が2年目だというのは関係ないし、できない理由にはなりません。厚真町はNPO法人ねおすという老舗の組織に事業を委託した。私はねおすの看板を背負っている、教育委員会の担当である宮下さんにとっては肝いりの新規事業。お互いに2年で終わらせるわけにはいかないという思いが強くありました。

– そうして汗をかいて放課後子ども教室を軌道に乗せることに成功した。でも、事業が安定期に入ろうとした矢先に思いも掛けないことが起きてしまうわけですね。

上道:はい……。

一人で歩く覚悟と、このまちで生きる決意と

– 2016年3月、NPO法人ねおすが解散。所属組織がなくなる中で、放課後子ども教室は、上道さん自身はどうなってしまうのか。事業継続のためにはクリアしなければならない問題がいくつもあったと想像します。

上道:解散すると知ったのは2015年12月です。組織はねおすの看板を外し、従来あった4つの支部がそれぞれ独立することになりました。私に残された選択肢は、新しく立ち上がる組織に留まるか独立するかのいずれかです。

町は、組織に残っても独立しても、どちらの形でも事業を継続してくださることを約束してくれました。私としては、放課後子ども教室がスタートしたときに1年生だった子どもたちがせめて小学校を卒業するまでは事業を続けたい、この子たちの卒業を見届けるまではがんばろうという思いが強くあったので、厚真町からの提案は非常にありがたかったですね。

最終的に、私は個人事業主として独立することを選びました。たしかに組織に留まれば、もしものときでも代わりに誰かを派遣するというバックアップ体制がとれます。ただ、組織に所属するとなれば厚真町以外の業務もやらざるをえません。厚真町の地域活動も含めて動きやすいのは個人事業主になる道だろうと判断しました。
2015年度の手帳を振り返ると「覚悟」という言葉がものすごくたくさん並んでいます。その覚悟というのは、厚真で生きていく覚悟というより、ねおすから卒業して自分一人でやっていくことへの覚悟です。でも、背中を押してくれる人たちが厚真町にはたくさんいる。だから決断することができました。

– 厚真町に来て5年、独立して1年がたちました。これからについて、どうお考えでしょうか。

上道:小学校を卒業した子どもたちから「中学生版の放課後子ども教室はないの?」といわれ、1年前に中学生対象の体験活動を実施しました。札幌から大学生を呼んでおみやげ商品開発のワークショップをやったんです。また、昨年秋には、地域の若いお母さんたちとの会話がきっかけで、町有林の利活用をテーマに「親子 de くつろぎ森ガール」というイベントも開催しました。
地域の中に入り込むと「こんなことがやりたい」「あんなことがしたい」という声が聞こえてきます。「それ、私が知っているあの人を呼べばできるかも」「あの人にお願いしたらお金はなんとかなるかも」、そうやって一つずつつないで「場」を作ってきました。
放課後子ども教室も地域での活動も、私のスタイルは「これいいね」というのをみんなで一緒に作ることなんだと思います。そしてこれからも、それは変わらないでしょう。

今後、さらに力を入れていきたいのは、地域と外から入ってきた人とをどうつなぐかということ。
新しく入ってきた人たちの中には「地域のコミュニティが強すぎて入るスキが無い」と距離を置く人たちがいます。一方で厚真の人たちはもっと自分たちの活動を知ってほしいと願っています。地域でがんばっている人たちと、新しく入った人とがつながればお互いによい効果があるはずなのに、どこかで見えない壁を作ってしまっているのはもったいないですよね。
私はただコミュニケーションが足りないだけだと思うんです。実際に会って話をした上で、合う・合わないはあるかもしれないけれど、ドアをノックしないままでは何も変わりません。
だから両者の間に入って「通訳」をする人がいれば、きっとうまくいくような気がしています。農業ならこの人、商業ならこの人といったように。
場合によっては私もその「つなぎ役」の一人になれるかもしれない。だから気軽に声を掛けてほしいですね。なんでも相談にのりますよ。

「知り合いが誰一人もいない中で、最初に友だちになってくれたのは子どもたちでした。来たばかりの頃はお互いにどう接したらいいのか分からず衝突することもあったけれど、いつだって子どもたちは正面から向き合ってくれました。だから私たちも目を背けることなく、根気強く、時間を掛けて関係を育てていきました。そうやってできた“友だち”だから、信じられるんです。子どもたちのことを。子どもたちとのたしかなつながりを」。そう上道さんはいいます。
独立独歩への覚悟も、地域活動に注ぐ情熱も、すべては子どもたちとの信頼関係が根っこにあったからこそ生まれたもの。これからも上道さんは厚真という土壌でぐんぐん枝をのばし、いろんな人たちをつないでいくのでしょう。その枝先に、色とりどりの花が咲くことを夢見て。



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