懐かしくて新しい、厚真町のまちづくりの立役者。歴史と物語のつまった古民家を未来へつなぐ教授の思いとは。

2018年3月25日

厚真町に築100年以上の貴重な古民家が多く存在することは、まだあまり知られていません。厚真町にある古民家の歴史的価値を掘り起こしたのが、北海道建築の第一人者であり、札幌市立大学教授の羽深久夫さんです。現在、町が一体になって進めている古民家再生事業の中心メンバーでもあります。厚真町の古民家再生事業は、2015年にオープンしたフォーラムビレッジに移築再生された第1号の古民家、旧畑島邸にパン屋「此方」が地域に親しまれ、新しい段階へと進み始めています。
まちの歴史を活かしながら新たな賑わいの場を生む古民家再生事業や、厚真町の古民家の歴史的背景に加え、改めて活用することの意義を、羽深教授に伺いました。

厚真町は北海道でも稀に見る、古民家の宝庫!

−羽深教授が厚真町の古民家調査や研究、再生事業に関わり始めたきっかけを教えてください。

羽深:私は新潟の出身で札幌には22年前、札幌市立大学の前身にあたる、建築やデザインに特化した札幌市立高等専門学校に着任しました。専門は日本建築史で江戸時代の武家屋敷を研究してきたんですが、北海道で調べてみても屋敷や遺構そのものが残っていないし、資料もあまりないんです。

ところが2008年、私が理事長を務めるNPO法人「北の民家の会」の仲間、武部建設さんが移築再生した厚真町の古民家の上棟式を見に行ってみたら、福井県の越前型民家が使われていたんです。「厚真にはこの時代の建物が残っているんだ!」とワクワクしました。
その時、後に古民家再生事業でタッグを組む厚真町役場の大坪秀幸参事から「厚真には古民家がたくさんありますよ」と聞いた通り、町内に石川県の加賀型の茅葺き民家が残っていたのには驚きました。一つの地域に福井県、石川県の古民家があるのは珍しいので、この民家も移築して残せないだろうかと厚真町に提案したのが、ご縁の始まりです。2009年から古民家調査を開始し、2011年には町全体を一斉調査したところ、古民家がどんどん出てきた。富山県の越中型の民家も見つかり、なんと厚真には、北陸地方にルーツをもつ貴重な農家民家が揃っていることがわかったんです。

厚真に建てられた家屋(昭和初期)

−それはすごいですね。北海道の他の地域と比べて、厚真町に古民家が多く残っていたのはなぜなのでしょうか?

羽深:第一に、北海道では寒さのために住宅の基礎部分が地盤面ごと凍って持ち上がってしまう「凍上」が起こるので、古い建物を維持することが難しいんですよ。それが厚真町は火山灰質の土壌で水はけが非常に良かったために、凍上が起こらなかったのが大きな理由の一つですね。他にも雪が少ない気候や、開拓の頃から米づくりや林業ができる豊かな土地だったこと、そして地主さんや土地の名士が民家を大切に残していたことなどがあげられます。

富山県の枠の内構法で作られた農家民家が残るのは、厚真町だけ

−厚真町の古民家の建築上の構法には、どのような特徴がありますか?

羽深:調査で築100年以上の古民家が9棟見つかり、北陸地方の4つの古民家の型があることがわかりました。越中型が6棟、越前型・加賀型・能登型が各1棟です。旧畑島邸も含めて富山県の越中型農家民家が多く、これらは「枠の内」と呼ばれる富山の伝統的な構法で建てられています。使われたのは樹齢100年以上の北海道産広葉樹で、とても立派ですよ。私は旧畑島邸の柱や梁を調べましたが、現代の基準以上の強度がありました。放置していたら朽ち果てていたかもしれない古民家が、移築再生でさらに100年、200年の命を得たわけです。

古民家は一度解体され、移築後、新しい命を吹き込まれる。

−素晴らしいことですね。羽深教授がそれらの古民家が貴重だとおっしゃるのは、どんな理由からですか?

羽深:実は、厚真町にある枠の内構法で建てられた古民家は、富山にはもう残っていないんです。なぜなら富山では茅葺き屋根から瓦屋根に変わった明治期に、合わせて家の造りも変えているから。厚真町に残る民家と、富山に残る民家を比べると、民家建築の歴史がわかるんですよ。また、今まで北海道の建築の歴史は明治以降の洋風建築中心だったので、このような古民家があることはまだ知られていないし、研究もされていない。そういう意味で厚真町の民家は非常に価値があるんです。

−富山の歴史的な民家が現地にはなく、厚真町に残っているというのはとても面白いですね。

移築される前の旧畑島邸
移築され、パン屋「此方」として生まれ変わった旧畑島邸

生まれ変わった古民家が、まちの新たな賑わいの場へ

−そうした古民家を未来へ保存・活用していく意義や、厚真の現状について教えてください。

羽深:現在、移築再生第2号の旧山口邸が旧畑島邸そばで着工を予定していて、2019年には地域の食材を活かした民宿兼カフェレストランとして営業をスタートする予定と聞いています。今、厚真町では町全体に、古民家再生活用の機運が生まれてきています。これは「残したい」という地元の熱意の他に、文化庁や国が文化財を保存するだけでは無く、活用しようという風潮になっていることと、北海道では不可欠な断熱気密の技術が上がったことが、ちょうど厚真町を応援する形になっているんです。いいタイミングだったと思いますよ。

そして、古民家をただ残して保存するのでなく、パン屋さんや民宿のように再生活用することで、もともとは古民家を目的としない方々が厚真町を訪れて、結果として古民家を知るきっかけにもなる。その意味でも、旧畑島邸は先駆的な試みですね。
私は、北海道で文化財・歴史的建造物を残すとき、活用しながら住民に溶け込むような形が合っていると思います。厚真町はそんな活かし方をどんどんしていけるんじゃないかな。

移築された後の古民家の広間

−それは楽しみです。ちなみに最初のお話にも登場した厚真町役場の大坪参事とは、現在どのようなご関係ですか?

羽深:大坪さんとは、一緒に富山や福井の古民家調査にも行っているんですよ。

大坪:先生は北海道建築審査会の会長で建築分野ではナンバーワンの方なんですが、こんなお人柄なので初めて会った時から気さくに接してくれて、失礼ながら、そんな偉い先生だとは夢にも思いませんでした(笑)。最初の調査も、お願いしたら学生と一緒に手弁当で厚真町に来てくれて。先生の後ろでお話を聞いていると、いかに厚真町の古民家が大事なものか肌で感じましたね。今は札幌市立大学と厚真町役場は連携協定を結ばせてもらって、古民家以外でも色々大学の力をお借りしています。
そもそも旧畑島邸の移築再生も、私が厚真町の古民家を紹介したくて、倉庫にしていた畑島さんの古民家にもいろんな人を勝手に連れて行くうち、畑島さんが「そんなに好きなら自由に使って」と建物を寄付してくださったのが始まりでした。それがひとつ形になると、今度は旧山口邸を始め、他にも建物の寄付を申し出てくださる方が現れたんです。

羽深:厚真町に住む町民からそういう声が出てきたのが、大切なことだね。

−お2人がとてもいい関係なのが伝わってきます。最後に、羽深教授から見た厚真町の古民家活用の現在や、これからの予定について聞かせてください。

羽深:旧畑島邸と現在移築を進めている旧山口邸は、厚真町のフォーラムビレッジの入り口に、まるでゲートのように建っているんです。移築再生した古民家が新しい集落景観を作っているのがなかなか面白いので、是非見に来て欲しいですね。
それと、厚真の風景は本州によく似ているんです。あの里山や田園風景には、日本人ならみんな感じるところがあるんじゃないかな。もちろん、懐かしい雰囲気だけじゃなく、パン屋の此方や、すぐそばにある森のカフェMomo cafe、そして今度は民宿とレストランができるので、現代で必要とされているものが機能としてちゃんとあるのがいい。小さな町の厚真町らしく、背伸びしないでできることをやっていけば、住んでいる人がより幸せを感じるような町になっていくと思います。


お話から、歴史的建築のプロの目線で貴重な古民家を発見し、町に働きかけてきた羽深教授の情熱が伝わってきます。「町全体が、古民家だけでなく自分たちの先祖の歴史や今まであったものを大事にしていこうという思いを持つことが一番大事」とも語ってくれました。これからも継続していく、厚真町発の古民家再生事業から目が離せません。懐かしい古民家やのどかな風景を味わいに、厚真町を訪れてみるのもおすすめです。ぜひ、ふるさと納税を通じて、古民家再生事業へのご支援をよろしくお願いします。

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文=山本曜子
写真=斉藤玲子 白井康永(iezoom)



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