【人材募集】森と人をつなぐトラックドライバー募集。創業昭和33年、北海道厚真町に残る老舗林業会社・丹羽林業。
2023年11月20日
「あの頃は、たくさんの林業会社と森に関わる人がいた」。そう語るのは、厚真町で林業従事者を雇用し続ける唯一の林業会社・丹羽林業の丹羽裕文社長。先代から数え創業60余年、これまでの歩みと林業への想いを聞くとともに、現在この会社で働く若い林業家たちの「林業のリアル」を伺いました。
厚真町で林業に携わり60余年、丹羽林業の歩み
――丹羽林業のこれまでの歩みについて教えてください
丹羽社長:創業は昭和33年、父親が個人で始めました。法人化したのは平成2年。税法上の都合や社会保険などを充実させていきたいなと思って。その後、父が亡くなり私が継いだのが平成9年。だから、私が経営するようになってから30年ちょっとになりますね。
――創業した頃の厚真町の林業の様子はどうでしたか?
丹羽社長:林業に関わる会社が結構あった。厚真町は農業が盛んで、夏に畑を作って冬に山に入る。兼業で森に関わる人が多かった。木炭を作っているところも多かったから木炭原木や原木しいたけのほだぎを提供して、使えないものはパルプにする。炭鉱なんかもあったから坑道の坑木も作ってたね。
――小さなころから後を継ぐつもりだったのですか?
丹羽社長:昔は家業を継ぐのが当たり前だったから、そうするもんだと思ってたかな。函館大学の商業部を出て信販会社に入社しました。3年半ほど働いて25歳くらいで戻ってきたね。配属先は青森だったんだけど、全国に転勤がある会社でどこに飛ばされるかわからないから、区切りのいいところで北海道に戻ろうと。
――戻ってきてからはどんなことを担当したのですか?
丹羽社長:木材を運ぶ仕事。山主さんから原木の権利を預かって、「やまごさん」って言ってたけど伐採夫さんに木を伐ってもらって、そのサイズを測り、荷台に積んで、お客さんのところに届ける。トラックに乗りたかったんだよね。
――林業を長い期間見てきて感じることを教えてください。
丹羽社長:流行り廃りはあるねえ。木材価格が変動して価格があがったこともある、今はあまりあがってこない。林業は造林、造材、製材なんかと分かれていて、いろんな会社があって多様な人たちがいたけど今は少なくなった。携わる人が減っていて、若い人が少なくて高齢化が進んでいる。そして地震があったこともあって、林業会社を経営するのが町内に自分だけになってしまった。なんとかまた若い人が増えると良いなと思います。
――厚真町には新しい林業プレイヤーが増えていますよね。
丹羽社長:そうだね。厚真町の中でできることが増えるのはいいね。近くに製材工場があればできることもある。小さなロットかもしれないけどね。町外の事業者にお願いしてたときもあるけど、やっぱり厚真町の木は厚真町の事業者でなんとかできるといいね。
丹羽林業で働く若き林業家たち
丹羽林業にはどんな人が勤めているのでしょうか?入社すれば一緒に働くことになる若手メンバー5人(※)と「運材」の仕事についてご紹介します。 ※丹羽智大(10年)、板垣健太(9年)、鈴木守門(6年)、木戸達也(1年8カ月)、三上竜二(7か月)。カッコ内は取材時点(2023年11月)のおおよその林業経験年数。
――皆さんそれぞれの丹羽林業への入社経緯を教えてください
丹羽:父が社長をやっているので家業を継ぐために戻ってきました。特に継いで欲しいと言われていたわけではないのですが、地元が好きですし、学生時代からしばらくいた関東は暑くて北海道が良いなと思っていました。
三上: まだ勤めてからは7か月ほどです。高校卒業後から自動車部品メーカーの工場勤務でした。山が好きで山に関わりたいなと考えているときに「丹羽林業良いよ」と先輩から言われて、ここを知りました。
木戸:私も車の部品関係の工場に勤務していました。有期雇用だったこともあり、次の仕事を考える必要がありました。渓流釣りや山菜採りもしていて山に興味があり、厚真町が地元なこともあり丹羽林業へ就職しました。
板垣:自動車の整備士として仕事をしていましたが、その後、森に関わろうと思い滝上の林業会社に転職しました。親の介護の関係で地元(苫小牧)近くに戻るタイミングで、丹羽林業の元従業員の方に話を聞いたのがきかっけです。
鈴木:デザイン関係の仕事をしていましたが、森に関わりたいなと思って岐阜の林業大学校に通い、卒業後どこで林業をするか考えるときに厚真町のローカルベンチャースクールで起業も考えたのですが、丹羽林業に縁ができ就職することにしました。
――皆さんそれぞれがどのような役割を担当されているか教えてください。
丹羽:基本的にうちは造林・造材の仕事になりますが、僕は新しく入って来た人に仕事を教えたり、各種の重機を扱ったり、管理的な仕事もしています。
鈴木:専門学校で各種の資格を取っていたこともあり、重機を動かすことが多いです。ハーベスターという機械を扱って木を倒したり、丸太を伐ったりしています。
木戸:自分は重機に関しては、免許は取得したのですがまだ自在に動かすまではいかないので練習中です。それ以外では、木を植えたり、下草を刈ったりする仕事をしています。
三上:私もまだ入ったばかりなので補助的な仕事です。チェーンソーで丸太を伐ったり、刈払い機で下草を刈ったりしています。
板垣:ハーベスター以外の重機を動かしたり、今はトラックに乗って材木を運ぶ「運材」 の仕事もやり始めたところです。
――「運材」、今回募集するトラックドライバーさんのお仕事ですね。もう少し詳しく教えてください。
板垣:林業の現場から出てきた木材をグラップルという機械でトラックに載せて運ぶのが仕事です。近隣の苫小牧や穂別(むかわ町)まで比較的近い距離の運転です。1日に2,3回往復することもあります。
――「運材」の仕事のコツというかポイントはどのようなことですか?
板垣:自分もまだまだ始めたばかりで言えるようなことは無いですけど、やっぱりコミュニケーションが大事だなと思います。いくつかの現場で作業が行われているときにどこから順番に回るかとか、現場作業の工程を理解してなるべくうまく回るように計画を立てていくこと。そのためには現場の人とのコミュニケーションが大事になると思います。
人材採用、そしてこれから
――今回募集する方にはどのようなお仕事をしていただくのですか?
丹羽社長:大型トラックの運転手で木を運んでもらいたい。森で伐った木をグラップル(木をつかんで動かす重機)で木を荷台に積んで、お客様のところに届ける。今もトラックを運転できる従業員は4人いるんだけど、この「運材」の仕事の専門性を上げていきたいと思っている。物流業界の働き方改革で2024年にはトラックドライバーの労働時間が短くなる「2024年問題」があって、人材不足になるだろうし今のうちにしっかり採用しておきたい。伐木機械なんかの資格は入社してからでも取ってくれればいい。
――普通のトラックの仕事とは違うし、今トラックを運転している人が興味を持ってくれるといいですね。
丹羽社長:移動距離が短いしトラックだけじゃなくて、他の重機を動かしたり、森にも関われるからね。森は気持ちいいよ。特に葉が茂っているときがいいね。
――将来的なことを教えてください
丹羽社長:しっかり林業経営を安定させたいし、林業従事者も増やしたい。そして息子に代を移していきたいね。今は事業請負の仕事が多いから、自分たちで木を伐って売っていく自社主導の仕事が増やしていけると良いなと思う。
厚真町には28,000ヘクタールの森(そのうち2,200ヘクタールが町有林)があり、様々な林業家が集まってきています。厚真町の中で現在複数の従業員を雇用しているのは丹羽林業だけです。そんな丹羽林業が新しく入ってきた林業家たちともお互いの強みを活かしつつ柔軟に連携していく懐の深さがあるからこそ、厚真町の林業はお互いがつながることができています。そしてこの会社の中で働く若き林業家たちも、それぞれが森への熱い想いを持ち、森に関わることを楽しんでいます。丹羽林業の、厚真町の森の一員としてあなたの「ドライバーの腕」をとことん発揮してみませんか?
※今回の記事では仕事内容のみを掲載していますが、今回話を聞かせていただいた若手5人の「森への想い」については後日改めて記事にする予定です。
厚真町の求人情報
https://www.town.atsuma.lg.jp/office/employment/job/recruitment/
丹羽林業の求人詳細https://www.town.atsuma.lg.jp/office/content/uploads/2017/05/c25c424dd465531965d7319c98190b91.pdf