みんなが笑顔で集まれるコミュニティスペース 「イチカラ」をつくりたい。 厚真町の30代の若手が起こす新しい挑戦とは?
2019年9月27日
震災からちょうど1年が経ち、厚真町に新しい動きが起こっています。
生まれも育ちも厚真という30代の若手と移住者によって、まちの中心地にコミュニティスペースをつくるプロジェクトが本格的にはじまりました。
プロジェクト名は「イチカラ」。
スペースの立ち上げや交流の場の企画など、慣れないプロセスを一歩一歩踏みしめ、未来に向かおうとする「イチカラ」メンバーを追いました。
▼イチカラのクラウドファンディング実施中
【北海道厚真町】街中心部の空き家を活用して未来をカタチにする場をイチからみんなで作りたい!
“ふつう”が大きく揺らいだ、あの日
「厚真町で“ふつう”に生きていたら、新しいことに挑戦する機会なんて、ほとんどなかったと思います」
2019年8月、厚真町にコミュニティスペースをつくるプロジェクト「イチカラ」が動き出しました。
主要メンバーは、1987年1988年生まれの同級生3人。
その一人である岡橋篤志さんは、インタビューでこう語ってくれたのです。
厚真町で“ふつう”に生きる。
それは、岡橋さんであれば、4年前にUターンして席を置く役場で働くこと。
ほかのメンバーである澤口研太郎さんと丹羽智大さんにとっては、家業を継いで、漁業、林業を生業にしながら歩んでいくこと。
しかし、この“ふつう”が、昨年9月に発生した北海道胆振東部地震によって大きく揺らぐことになりました
いま震災から1年が経ち、一見まちには平静さが戻っているように感じられますが、現在でも仮設住宅に暮らす人々がおり、土砂崩れの爪痕も各所に残っています。
何より厚真町で37名の尊い人命が失われたことは、メンバーの心にも大きな影を落としていました。
「土砂の中から早く見つけてあげたい。けれど息が絶えてしまっていたらどうしようと、本当に複雑な気持ちが渦巻いていました。いままで当たり前だと思っていたことが当たり前ではないんだと気付きました」
思い描いた未来はすべてリセットされた
震災によって、自分たちがぼんやりと考えていた未来はリセットされ、地域のこと、自分たちのことを真剣に見つめ直す状況に追い込まれていったと澤口さんは語ります。
復興のために町外からさまざまな人が訪れ、支援の手をさしのべてくれる状況のなかで、地元にいる自分たちには何ができるのか?と自問自答する日々が続いていました。
そんなとき役場で数々の復興プロジェクトを手掛けていた産業経済課の宮久史さんの呼びかけで、若手でまちの未来を考える場がもたれることになりました。
「このとき僕たちが必要だと思ったのは、みんなが気兼ねなく語り合える場でした。震災後に友人宅に身を寄せて、食卓をともにしながら将来について本音で話をしたとき、人の思いが集まることで明るいエネルギーが生まれることに気付いたんです」
ここからコミュニティスペースづくりの構想が生まれ、場所探しが始まりました。
まちのど真ん中、1番地が拠点に
構想が生まれてから数カ月後、借りることのできる店舗の目星がつきました。
その場所は、まちの中心地。
10年間シャッターが閉まっていた元布団店でした。
ここが借りられることになった背景にもまた、震災という存在がありました。
店舗の所有者である吉岡和美さんは、現在札幌に住んでいます。
布団店を経営していたのは吉岡さんのご両親でしたが、相次いで病に倒れたために、お店を閉めることとなりました。
それでもずっとお店を残しておいた理由は、曾祖父の代から住み続けた厚真という土地と、その建物に大きな愛着を持っていたから。
「札幌の介護施設にいる母を、いずれ一日でもいいから厚真に帰らせてあげたいと思っていましたし、生活道具なども、そのまま残してあったんですね。それが、地震があって部屋の中がすべてぐちゃくちゃになってしまいました。自分が使っていた古い勉強机なんかもあって捨てることができないでいましたが、おかげで気持ちの整理がついて、片づけることができたんですね」
部屋の整理をしていたとき、コミュニティスペースとして利用したいという話が舞い込み、吉岡さんは大きく共感したといいます。
「まちの中心地にあるのに、ずっとシャッターが閉まったままでいいのだろうかという想いをかかえていました。厚真でがんばっている若手がいるのであれば協力したい。震災から1年、私も厚真のためにできることがあればと考えました」
場所は厚真町京町1-1。
まちのど真ん中の1番地だったことが「イチカラ」という名前の由来となりました。
さらに、この名には復興をイチから始める、人々が「力を合せる」という意味も込められているそうです。
みんなでひとつのものをつくりあげたい
もう一人、力を合わせてコミュニティスペースづくりに取り組む人がいます。
スペースの内装を手掛けることになった札幌在住の建築士、金澤享史さんです。
金澤さんは、コミュニティスペースの使い方について、メンバーたちのさまざまな要望をもとにプランを考えていきました。
昼間はノマドカフェ的なイメージで、個人がデスクワークをしたりミーティングで活用したりできるスペースになること。
夜間はイベントスペースとして利用し、講演会や音楽イベントなどが開催できること。
取材をした日は、メンバーを前に第1回目のデザインのプレゼンが行われていたときでした。
「こだわりは、のんびりできるスペースをつくろうと、ソファベッドを設置してみたところです」
金澤さんは、これまでに札幌のゲストハウスの設計の監修を数多く手掛けてきたそうです。
イベントの企画も多彩なゲストハウス「The Stay Sapporo」では、スタッフとして立ち上げにも関わるなど、人が集う空間づくりの経験が豊富。
「みんなの力でひとつのものをつくりあげる」ことに興味を持っているそうで、「イチカラ」プロジェクトの内装デザインはまさに適役です。
「今回はあくまでベースとして考えたデザインです。みんなで飲んだり雑談したりするなかから、僕はアイデアが浮かぶことも多いんです」
今後は厚真町にも足を運んで、メンバーたちと交流するなかでプランをブラッシュアップさせていきたいと笑顔を見せてくれました。
行政の手を借りず自分たちで進めたい
場所が見つかりデザインも進んでいるなかで、このプロジェクトのもっとも大きな課題は資金集め。
プロジェクトの立ち上げに関わる費用は350万。
2019年12月下旬のオープンを目指し、DIYでできるところは自分たちで行いつつ、クラウドファンディングを開始しました。
リターンとして、コミュニティスペースの壁に支援者の名前を記載するほか、まちの特産物であるハスカップやジンギスカン、海産物など豊富なラインナップを取り揃えました。
また、自分たちの活動をより多くの人に知ってもらうために札幌のイベントで支援を訴えたり、震災から1年となる9月6日には、改装前の元布団店で、自分たちがどんな活動をしていきたいのかを語る場ももうけました。
誰もが安らぐ場づくりを目指して
澤口さんはクラウドファンディングにあたって、プロジェクトを進める原動力を、こんなふうに語っています。
そのひとつは町外の多くの人が支援してくれた温かな気持ちに応え、縁をつないでいきたいという想い。
もうひとつは、まちがどんなに傷ついても、好きという気持ちは変わらないという想いです。
「好きである理由は、この場所で家族や仲間たちと過ごす時間が楽しく、心安らぐからだと思います。私達はこの豊かな人や文化や環境を先輩たちから受け取りました。この厚真町の大切な空気感や地域性を、僕らもまた後輩たちに渡していきたいと思っています」
厚真で生まれた人も、移住者も、旅行者も。そして大人も子どもも。
さまざまな立場の人が垣根なく交流し合える場を目指す、「イチカラ」の挑戦ははじまったばかり。
今後はトークイベントや交流会の企画などを、仲間を募りながら具体的に計画を立てていくそうです。
荒れてしまった土地にも必ず芽吹きがあるように、厚真に住む若手たちも、自分たちで未来をつかもうと懸命に生き、成長しようとしている姿が印象的な取材となりました。
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聞き手・文=來嶋路子
写真提供=イチカラ実行委員会 來嶋路子 エーゼロ厚真