挑戦の連続が愛される味を生む。創業48年、ジンギスカン肉の店・市原精肉店の物語
2017年12月19日
北海道で肉料理といえば、今やバーベキューでおなじみのジンギスカン。あのちょっとクセのある旨みが好き、という方も多いのではないでしょうか。厚真町には、そんなジンギスカン用の羊肉をメインに扱っている、市原精肉店があります。現在代表を務めるのは、3代目の市原泰成さん。泰成さんは、おじいさま、お父さまと受け継がれてきたこの店を「元々継ぐつもりはなかった」と話します。1968年創業から、ずっとお客様に愛されるジンギスカンを作り続けてこられたのは、考え抜かれた素材の味わい方と丁寧な仕事、そして代々の「挑戦」があったからでした。今回は、25年間店を支えてきた工場長の三上武志さんと共に語っていただきました。
厚真のジンギスカン史をつくってきた、初代・2代目
– まず、ジンギスカンというと北海道のイメージがあります。北海道では、どうして羊が食べられるようになったのか教えていただけますか。
三上:北海道では綿羊を育てる文化が昔からあったんだけど、若い羊の毛質のほうがどうしてもいいから、年を取ってくると綿羊として使われなくなったんだよね。そこで冬になると、年老いた羊を屠殺して食べるという習慣が根づいたんですよ。当時は冬場の貴重なタンパク源にもなったし。
でも羊肉には当然、臭みがある。年老いているからなおさらだね。そこで臭みを消すために、にんにく、生姜を使ったタレにつけ込んで食べられるようになった。つけ込みジンギスカンっていうのは、そうやって生まれてきたんだね。
– そんな中、泰成さんのおじいさまに当たる初代が、1968年にジンギスカン肉を中心に扱う精肉店を厚真に立ち上げたのですよね。どんな経緯で創業されたのでしょうか。
泰成:初代はもともとは道内の長沼というところにいて、そこではつけ込みジンギスカンが普通の家庭で食べられていたそうなんです。やっぱり綿羊は臭みがあるから、「なんとかして美味く食べれないか」と仲間内で競い合っていたみたいで。当時はそれぞれの家庭で自家製のタレがあったそうですからね。その文化をもって移住の先駆けで厚真へやってきて、好きが高じて店を始めたようです。
とはいえ最初はなかなか実にはならなかったみたいで。味へのこだわりが強かったから、納得いかない肉はもう、片っ端から捨てに行っていたなんて話も聞いてます(笑)。でも徐々に近隣の方の評判になっていって、「あづまのジンギスカン」と呼ばれるようになった。当時の地名はまだ「あづま」と音が濁っていたんですね。それで、正式に商品名を「あづまジンギスカン」として売り出すようになったんです。
– 初代が市原精肉店の礎を築いたあと、2代目をお父さまが継ぐのですよね。
泰成:そうですね。先代はチャレンジ精神が旺盛だったようです。「本格的に商売をするためには頭数が必要だ」と、メインの羊肉をオーストラリアやニュージーランドから輸入するようにもなりました。でも、やはり地元産のものを使いたいということで、厚真産の食肉も確保して販売して。新商品としてハムやウインナーを作ったりもしていたようです。
三上:道外にも積極的に出て行くようになって。たとえば関東圏では、2代目の時に北海道フェアっていうのが生まれたんですよ、代々木で。最初の頃はえらい赤字だったけど、7、8年行き続けて、そこで出会ったお客さんにDMを出してるうちにやっと商売になってきて。今の馴染みのお客さんっていうのは、その時からの方々が多いんですよ。
– そうした、ときに地道で、ときに大きな変革を重ねてこられた結果、今の市原精肉店があるのですね。
とにかくやるしかない。思いもよらぬきっかけから、3代目代表へ
– 泰成さんは、おじいさま、お父さまが作ってきた会社を継がれたわけですよね。昔から、家業を継ごうという気持ちでいたのでしょうか。
泰成:いいえ。まず両親とは年が離れて産まれてきたこともあって、両親の仕事が一番大変なときをあまり知らないんです。それに、跡取り息子にするのはかわいそうだと、母が自由を与えてくれていたこともあって、継ぐつもりはなかった。大学も店とは関係のない薬学部に進学しました。
店で働くきっかけは、ひょんなことからだったんです。大学を離れて札幌でふらふらしていたときに、先代がたまたま用事でやってきて、一緒に飲んで。そのときに「特にやることないなら戻ってきてうちで働けばいいんでないか」っていう話になってですね。僕もなにもやってなくて、意味がないなと思ったので、こちらに戻って働くことにして。でも最初は時給制のバイトでした。
– そうだったのですね。でも、実の親御さんの店で働くことに対して、抵抗感や反発心はなかったんですか。
泰成:店に入ることは割とすんなり受け入れられました。もともと「やりたい」と言って入ったわけではないけれども、仕事を始めてからも先代がいるときは流れに乗っかっていればいい、という思いだったので、親に対する葛藤とかもなかった。
でもそんな状態で2年ほど経ったとき、先代が急逝したんです。幸いにして、秘伝のタレについて半年くらいは教わっていたタイミングでした。それと経理などの事務関係も数週間前くらいからたまたま教わっていたんです。今考えると、それも不思議な話なんですけど。なのでお客様にはご迷惑をかけずに済みましたが、後から考えれば、ぼくが店で働き始めたタイミングはかなりぎりぎりで、継ぐのになんとか間に合ったってかんじでしたね。
– そうだったのですか。何か1つでもタイミングがずれていたら、お店が成り立ったかどうか…という状況ですよね。泰成さんが代表になられて3年目、会社を継ぐことになったのは25歳のときだと思いますが、不安や葛藤もあったのではないですか。
泰成:最初はバタバタして、ちょっとどうなるのかなっていうときもあったんですけど。先代が亡くなってしまった以上、完全に尻叩かれた状態というか、どうのこうのも言ってられなかったですね。お客さんがいらっしゃる以上、まずやらなきゃダメなことが目の前に迫ってくるので「やるしかない」という感じでした。それに、事務的なことを超えた、たとえば取引先のこととかについては、三上のように長く働いている者がいるので、いろいろ聞いたり相談しながらなんとか軌道に乗せることができました。
– まわりの方の支えがあったからこそ、大変なご状況を乗り越えられたのですね。
絶妙な美味しさの秘密!こだわりのマトンと、改良を重ねてきた生タレ
– 実は先日、市原精肉店さんの代表的な商品の1つ、「あづまジンギスカンレギュラー」をいただいたんです。羊肉の強い癖が絶妙なところで旨味に変わっている感じがして、こんなに美味しいのかとびっくりしました。一般的にはジンギスカンというとラム(若い羊の肉)を使うイメージが強いですが、市原精肉店さんでは生まれて2年以上経った羊の肉、マトンを使っているとお聞きしています。一体どんなこだわりがあるのでしょうか。
泰成:うちは初代から、ずっとマトンを使ってきました。それは年老いた羊をつぶして食べ始めたという、ジンギスカンが始まった経緯もあるんですけど、マトンはラムよりも肉の旨味があるんですね。
三上:マトンはつぶしてから一定期間置いておいて熟成させたほうが旨い。これをエイジングっていうんだけども、これは今でも北海道でやってるのはうちだけでね、はるか昔の30年前からずっとやってるんですよ。これをやると、臭みはどうしても出てくるんだけど、旨みが、グンと強くなるわけです、肉も柔らかくなるし。基本的に、旨いジンギスカンっていうのはまず、タレうんぬんより、肉。肉質が大事なんですよ。そしてその肉質に合ったタレを作る。
泰成:このタレは、りんごとたまねぎを、まるまる非加熱で搾るんですよ。ほんとに100%、フレッシュジュース状態の果汁と野菜の汁に、醤油とにんにく、生姜を合わせた「生タレ」を作るんです。そうすると肉が酵素の力でさらに柔らかく仕上がってですね、なおかつ焼いた時の香りもすごくいいんです。先代の頃からベースの味は同じですが、天然の素材を使っているので、季節に合わせて少しずつ調節もしていて。そうやってお客さんの食欲が湧くように、楽しんでもらえるようにと思って作っています。
– 確かに、いただいたときにすごくフルーティーな味わいで、食欲が増した気がします。次々と食べてしまって、気づいたらなくなっていました(笑)。タレが臭みを抑えるだけではなく、肉の旨味を引き立たせるから、よりマトンが美味しくなるんですね。
三上:うちはたれ一つ作るにしても、りんごもたまねぎも、皮をむくところから全部手作業なんです。肉の計量も、自動でやるとグラムで落ちてくるから肉の脂身が多くなったり、赤身が多くなったりとバラバラになる。それをなくすために、手で計りながらいろんな部位を入れて、レギュラーっていうひとつのジンギスカンにしてるんだね。機械化して効率を上げるっていうのもひとつの手なんだけど、初代からずっと受け継がれた手作りでやってます。
– そんなに細かなところまで、手作業で作られているのですか。そういう1つ1つのていねいな仕事が、美味しさ、そして人気につながっているのでしょうね。このお仕事をされていて、やりがいってどんなところにありますか。
泰成:ぼくは普段、店頭ではなく事務所にいるんですけど、買い物に来てくれたお客さんの声は大体聞こえてくるんですよ。「おいしいって聞いてきたんだよね」とか、「誰々さんにあげてこんなふうに喜んでくれてさ」っていう声があると、ものづくりをやっている者としてはやっぱりうれしいですね。厚真町内だけじゃなくて、札幌とか美唄とか、いろんな地域からわざわざジンギスカンを買いに来られる方もいらっしゃるので、それもまたやりがいになっています。
いつか地元産ジンギスカンで、厚真が知られる日を目指して
– ジンギスカンって、東京でも一時ブームになったというイメージがあるのですが、最近のジンギスカンを取り巻く環境はどうなっているのでしょうか。
泰成:原油や原料の値上がり影響もあって、今は羊肉自体の値段が4、5年前から上がったままなんです。北海道の人は当初、羊肉は日常的に食卓に並ぶ安価な肉っていう感覚でいましたし、10年ほど前ブームで東京にお店がポンポンできたときも値段的には今より安く、安定していたんですけど。今は豚とか鳥より、輸入羊の方が高価なイメージになってしまってますね。
– なかなか大変な状況ですね。そんな中、ジンギスカンをもっと食べてもらうために新たな試みをされていると伺ったのですが。
三上:今、新しい商品として「煮込みジンギスカン」っていうものを作っているんです。今はジンギスカンって、夏に野外でベーべキューで食べてもらうことが多いんですよ。なので、冬に食べてもらえるものを作りたいなと。いわゆる羊鍋みたいなかんじで、やっぱり肉がタレにつけ込んであるんだけど、焼いて食べるよりは、はるかにタレが多い。そこに200から250グラムの野菜を入れて食べると。今年の12月頃から、本格的に販売出来ればと思ってます。
– なんと!冬にもあの美味しいジンギスカンが味わえるのですか。とても楽しみです。新しい冬の定番メニューになりそうですね。「煮込みジンギスカン」を始めとした新商品開発は大きな挑戦だと思いますが、ほかにも今後お店としてどうやっていきたいという思いはありますか。
泰成:やはり輸入物だけじゃなくて、地産地消というか、厚真産の羊をもっと出せるようになって、店の柱に据えたいですね。今も、山田さんという厚真の羊農家の方に卸していただいているのですが、お客様にお出しできるのが年間3、4頭分くらいなんです。肉の弾力や旨味がすごくあって、おかげさまで口コミで評判が広まっているのですが、大体道内の予約の方でいっぱいになってしまうんです。これを、たとえば月に2頭ずつとかでも安定的に出せたらいいなと。
この、安定的に出すというところが難しいんですけどね。もし宝くじにでも当たれば、僕も牧場を作って、厚真産の羊を育てたいんですけど(笑)。供給が安定して販路が整えば、全国的に展開もしやすいと思いますし。厚真産のあづまジンギスカンを作って広めるというのが、大きな目標ですね。
商品名から厚真という町を知ってもらえたら、それをきっかけに厚真町にきてもらって、例えばバスツアーのような形で農業体験や観光をしてもらいつつお昼はうちのジンギスカンで、といったこともできるかなと。そういう風に地域と関わりのあるような店のあり方っていうのもこれからはやっていきたいなと思っています。ただ待っているだけではお客さんも増えないので、攻めながら、厚真らしいほっこりしたとこも残しながらで、やっていきたいですね。
– 厚真産のジンギスカンを起点に、将来のビジョンが広がります。このジンギスカンで、全国の方、地域の方とつながっていけたらいいですね。
それぞれの代ごとに、時に静かに、時に大胆に挑戦を重ねてきた市原精肉店。今年で創業48年を迎えました。これからも市原精肉店のジンギスカンを味わいつつ、その挑戦を見守っていきたい。そう感じられたインタビューでした。
初代、先代と代々の「挑戦」から受け継がれてきた、素材の味わい方と丁寧な仕事によってお客様に愛されるジンギスカンを厚真町のふるさと納税の返礼品としてもご利用していただけます。
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取材=田村真菜(tamuramana.com)
文=武藤あずさ
写真=吉川麻子