被災地から過去と未来に想いを馳せる。北海道胆振東部地震慰霊碑に想いを込めて

2022年3月18日

平成30年北海道胆振東部地震から3年目となる2021年9月5日、胆振東部地震慰霊碑の除幕式が行われました。

厚真町の北から南を結んで流れる厚真川のすぐ横にある「つたえり公園」。
そこに建立された慰霊碑は円形の黒い御影石を中心に、震災で犠牲になった方々のお名前と震災の記録が記されています。

そのデザインを手がけたのは厚真町と包括連携協定を結ぶ札幌市立大学の名誉教授 羽深久夫先生と同大学デザイン研究科修士課程2年 廣林大河さん。
町内外からたくさんの人が祈りを捧げに訪れるこの慰霊碑には、どのような想いが込められているのでしょうか。
札幌市立大学で羽深先生、廣林さんのお二人にお話を伺いました。

厚真町つたえり公園に建立された胆振東部地震慰霊碑

―羽深先生は震災以前から、厚真町に現存する古民家の研究にご尽力くださっています。

厚真町に甚大な被害をもたらした北海道胆振東部地震をどのような想いでご覧になりましたか。

羽深 元々は2009年から厚真町の古民家に関する調査研究や、移築再生に取り組んでいました。胆振東部地震では研究を通じて関りのあった方々も犠牲になられてしまい、唖然としたというか…なんでこんなことがという想いでした。

地震のあった2週間後くらいに厚真町役場を訪問して古民家も見に行きましたが、道路も全部ガタガタだし、どこも全て大変なことになっていました。あんなに平和な町だったのに。

―そこから今回の慰霊碑のお話があったのはいつ頃なんでしょうか。

羽深 2020年に厚真町役場から慰霊施設計画に向けての話があり、私たちの大学で受託研究として取り組むことになったんです。まずは被災から3年目のタイミングに向けて慰霊碑を建てることになりました。それで当時修士課程1年で私の授業を受けていた廣林君に声をかけたんです。

廣林 僕は建築を研究していて、実はデザインは専門ではありません。だから最初に慰霊碑をデザインするという話を聞いた時、少し戸惑った部分もあったんです。厚真町の方々に受け入れていただけるだろうか、というプレッシャーもありました。

慰霊碑のデザインを行った札幌市立大学 廣林大河さん

廣林 そこから、まずは実際につたえり公園に行ってどのような形にできるのかを話し合いました。町内の被災跡が生々しい現場も見にいかせていただきましたね。また、様々な場所の慰霊碑の実例を集めて研究も行いました。

その上で厚真町の担当者や羽深先生と検討を重ねて何度も案を考え、デザインを作っていったんです。

―では、実際に建立された慰霊碑にはどのようなコンセプトが込められているのでしょうか。

廣林 まず、慰霊碑は正面から向き合うと、多くの方々が犠牲になった山側の地区の方角を向く角度で設置されています。これはつたえり公園を訪れた当初から考えていました。

慰霊碑のあるこの場所から、犠牲者の方々に向き合い、想いを馳せることができればと思っています。

慰霊碑の正面に向き合うと、遠くに厚真の山々が見える
慰霊碑の正面に向き合うと、遠くに厚真の山々が見える

廣林 中央にある円形部分の外側の輪は、時計がモチーフになっています。胆振東部地震が発生した時刻である3時7分の位置に刻みをつけました。

時計というモチーフは、未来に向けて進んでいきながらも、被災当時のことを明確に刻めます。そして、世界中の誰もが共通して理解できるものですよね。

モニュメントとして抽象的になりすぎてしまうと、何を示しているのかよくわからなくなってしまいがちです。それよりは慰霊碑という意味合いのあるものとして、具体的に多くの人に伝わる形のほうが良いのではと考えました。

―中心の黒い円も特徴的ですが、こちらはどのような意味があるのでしょうか。

廣林 これは高さ1.4mの黒い御影石なんですが、反射して鏡のようになって人や風景が碑に投影されます。つまり、慰霊碑の前に立つとその人自身の体が写り込んで見えるということになるんです。

また、この円にはもう一つ意味があります。大阪にある岡本太郎作の「太陽の塔」には、その内部に過去を象徴する黒い太陽がデザインされているんです。そのモチーフを引用して、外側の輪と内側の円で黒い太陽としました。慰霊碑が厚真町の山々の方角を向いていることも併せて、山からの日の出・日の入りの姿もイメージしています。

―慰霊碑を訪れた人が、黒い太陽の中に写り込むようになっているのですね。

廣林 はい。この震災では犠牲になられた方やそのご親族もいれば、家を失った方、怪我をした方、畑を失った方、他にも様々な形で被害にあわれた方がたくさんいます。

犠牲になられた方々を想うということと共に、過去を象徴する黒い太陽に自身が投影されることで、この慰霊碑の前に立つ人の中にあるそれぞれの痛みや想いに向き合い、包めるようにしたいと思いました。

―完成した慰霊碑をご覧になって、いかがでしょうか。

2021年9月5日 慰霊碑除幕式の様子

羽深 慰霊碑というのは、観音様だったり、あるいはもっと抽象的なものだったりすることが非常に多いんです。どこかもの悲しさがあったりもします。

しかしこの慰霊碑は震災のことや犠牲者の方を悼みながら、この先への希望を与えられるようなイメージも持っているものです。震災の記憶を刻みつつ、未来に向かっていくということを表せるものになったと思います。

廣林 本当は、慰霊碑という悲しいものを建てなければならない状況なんて無いほうが良いのにとは思っています。それでも、起こってしまった震災に対して、こうして何年も残る建造物に関わらせていただいたということは自分にとって非常にありがたい経験となりました。

―札幌市立大学ではこれからも吉野地区など被害が大きかった箇所の景観形成や震災の記憶を後世へ伝える伝承施設について研究を続けるということですが、今後についてはどのようなことをお考えでしょうか。

札幌市立大学名誉教授 羽深久夫先生

羽深 いま検討しているところでは伝承施設として何か大きな建造物を作るのではなく、被災の跡をエコミュージアムのような形にできないかと考えています。

また、厚真町には大変おもしろい歴史や自然環境がある。縄文文化、開拓時代、戦争、そして厚真を形成する土地。今回の災害というのは厚真町の歴史において非常に大きな点となりますが、何千年の歴史の中の一つの点でもあるということも伝えられるものにしたいですね。町の人たちと一緒に、町のストーリーをまとめることができればと思っています。

この町で痛ましい震災を経験した記憶と、そこに訪れる人々の想いを写す慰霊碑。

厚真町の過去と未来を見つめながら想いを馳せる場所として、これから町の大切な一部となっていくことと思います。



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