新規就農する、厚真の開拓者募集:「子どもと過ごす時間」を求めて、未経験からほうれん草農家に。

2016年8月29日

農業に興味があるけれど、これまでやったことはない。就農して、本当に家族で食べていけるのだろうか…。そんな悩みを持ちながらも、2011年に首都圏から厚真町へと移住したのが、安達博司さんとそのファミリー。当初はビジネスモデルも育てる野菜も決まっていませんでしたが、地域の方たちの手厚いサポートを受けながら、4年間で優良生産者として表彰されるまでになりました。今回は、厚真町ローカルベンチャースクールに農業でのチャレンジを考えてる方に向けて、先輩移住者の経験談やアドバイスをお届けします。

農業とは無縁だった移住前の生活

– 安達さんは、5年前に埼玉県から移住してきたそうですね。

安達:出身は北海道小樽市ですが、札幌の学校に進学し、東京で通信系設備工事の会社に就職しました。その後、アメリカの冷凍すし工場で技術指導をしたこともありましたし、いろいろ経て、最後は埼玉県で7年間、焼き鳥屋を営んでいました。夜の仕事でしょう、子どもが成長して小学校に進学すると、顔を合わせる時間がまったくなくなってしまったんですよ。休日も合わず、運動会にも行けないし。「子どもと向き合う時間がもっとほしい」「自然のなかで暮らしたい」という気持ちが軸にあり、移住を考えて、何回か北海道に来たりインターネットなどで情報を集めているうちに、厚真町の地域おこし協力隊の農業支援員の募集を知ったんです。厚真は海も山も近く自然も豊かなのに、苫小牧などにも近くて交通の便のよいところも気に入りました。奥さんが「今応募しなきゃ、絶対に行けないわよ」と後押ししてくれたこともあって決意しました。

– これまで農業のご経験がない中で、新規就農への不安や迷いはなかったのでしょうか。


安達:いろいろな農家さんを回って経験を積ませていただいたのが協力隊一年目。その中に、10年ほど前に千葉県から移住してきた、うちと同じ世代・同じ家族構成のほうれん草農家さんがいましてね。移住してきた動機も同じだったんです。その一家が厚真に根を下ろして頑張っている様子を見ていたら「うちもやっていけるかもしれない」という気持ちが固まってきました。楽ではないだろうが、仕事である以上どんな仕事でも大変さはありますからね。その先輩一家の姿を見て、ほうれん草農家でやっていこうと決めました。

– 新しい土地で就農するにあたって、大変だったことはなんでしょう?

安達:土地を借りるところからですね。移住して農地を借りるのって、けっこう大変なんですよ。まずは地主さんとの信頼関係がなければ貸してもらえなくて、お金さえあればいいという話ではないんです。それに当然ながら「よい場所」は既に誰かが使っていますよね。それを、知り合いの農家さんや、集落の方、役場の人など多くの方々があちこちに声を掛けてくれていて、よい巡り合わせやご縁も重なって、この場所をお借りすることができました。
技術的な面でも、その方にはとてもお世話になりましたね。農業って、やってみて失敗してそこから10年かけて覚えていく、っていうプロセスが普通みたいなところがあると思うんですが、僕の場合、最初にある程度の答えを教えていただけたんです。ご自分が苦労されてきただけに、新しい人に対して本当に親切で、惜しげもなくアドバイスをしてくれたのが本当に助かりましたよ。ありがたかったですね。就農から4年目でこうしてなんとかなっているのは、その方のおかげも大きいと思っています。

「子どもと向き合う時間」を軸に考えた移住

– 今はどんな生活ですか。お子さんとの時間を増やしたいという、移住・転職の目的は達成されましたか?

安達:夏は日の出とともに起きて農作業に入り、夜中までかかることもよくあります。僕らの都合ではなく、すべてはほうれん草の状況次第ですから。数時間しか寝られない日も続きます。それでも、朝飯も晩飯も、家で必ず子どもの顔を見ながら取れるのがいいですよ。それだけでも十分、厚真に来たかいがあると感じています。


学校行事にも参加してますよ、子どもたちと一緒に学校のグラウンドで野球をしたり、陸上記録会、マラソン大会、水泳大会…。こちらの学校って、保護者も一緒に参加できる体制なんです。PTAのつながりが深くて、冬は保護者が学校のグラウンドに水を撒いてスケートリンク作りを手伝ったりね。夏の間に生産に集中するもんですから、冬はだいぶ遊べてます。もちろん事務作業やハウスでの作業はありますけれど、子どもたちとスケートに行ったりして、楽しく過ごしています。

– 厚真町の中でも、上厚真地区を選ばれたのも育児環境を考えてのことだったとか。

安達:ええ、そうなんです。埼玉からこちらに来るとき、当時保育園生だった下の子はともかく、小学2年生だった上の子には「引っ越しはイヤだ」とひどく泣かれまして。「1回だけ、これが最後の転校だから」と説得したので、約束を守るためにも、転校がなく子育て環境の充実したエリアをと考えて住まい選びをしました。

転校後、子どもが学校になじめるかは、僕も奥さんもだいぶ心配しましたが、まったく問題ありませんでした。埼玉の学校は1クラス40人でうちの子はすぐに陰に隠れてしまう、引っ込み思案タイプだったんですが、こちらへ来たら1クラス15人。隠れようと思っても、人が少なすぎて隠れられない(笑)。すぐに友だちもできて、イキイキとして見えますね。子どもにとってもよい環境を与えられたと思いますよ。いい子たちばかりですしね。

私らが中学生のころって、ほら、どうも「一生懸命にやらないのがカッコいい」みたいなとこってあるでしょう? こっちの子にはそれがない。素直で、中学生くらいになってもピュアで、運動会でもそれはもう一生懸命にしっかりやるので、見ていても本当に気持ちがいい。よその子の応援にも自然に熱が入ります。住まいも、廃校になった敷地のなかの住宅に住んでいるので、広いグラウンドを自由に使えてノビノビ遊べ、環境はとにかく本当にいいです。

– 子育てをきっかけに、苫小牧や札幌から移住してくる方も多いと聞きます。大人にとっては、町の環境や雰囲気はいかがでしたか。すぐに馴染めましたか。

安達:排他的な部分などは、ありませんでしたね。僕の場合は特に、地域おこし協力隊で来たもんだから、町報に大っきな写真とプロフィールが載っちゃうんですよ。ちょっとした有名人(笑)。初めて会う人も僕のこと知ってて、自己紹介いらない。地域おこし協力隊で来た、という経歴は非常に僕を助けてくれましたね。人とのつながりを作ってくれて。土地を借りるのも、機械を借りるのも、全部「人」とのつながりですから。

– 奥さんは移住を不安に思われなかったんでしょうか?

安達:「これまでもいろいろあったけれど都度なんとかして来たし、あなたならきっとなんとかするだろう」と思ってくれていたようです。ありがたいことです(笑)。まあ、自営業の大変さもこれまでに十分知っていましたしね。農業で起業してもなんとかやっていくだろうと。

自ら地域に働きかけ、つながることの大切さ

– 農業をやられていく中で、地域の皆さんの協力を実感されることは多い?

安達:多いですね。土地を借りられたこともそうだったし、このハウスの枠も、地元の方から譲ってもらったものなんですよ。使っていない古いハウスをお持ちの方に「今度新しいもんが来たんだけど、あんたんとこのハウス、使ってんのかい?使ってないんならあげればいいっしょ」って声をかけてくださった方がいて。持ち主の方も、自分で分解して運ぶんなら持って行っていいよと言ってくださったので、奥さんと二人で解体して、借りた軽トラで運んで、組み立てたんです。いや、大変大変。何せ鉄ですから、重いのなんの。でも、新品を買おうと思ったら僕らにはとても手の届かない金額でしたから、初期費用を抑えられ、自己資金のみでスタートできたのは大きな幸せでした。いい人が多くてね、かまってくれるというのか。何も知らないで来た者に農家ができるのか心配して畑の様子を見に来てくれたりして。たまにめんどくさい時もあると言えば、まあ…(笑)

– みなさんの応援を得ていくために、安達さんからの働きかけもありましたか。

安達:そうですね、協力隊時代に役場の方に「どこでも、どんな場所にでも顔は出しておけ」とアドバイスされ、それは守ってきたように思います、町内会の行事なども含めて。行事に行ったことで広がった人間関係も多いですね。それとうちの奥さんも、よその農家さんから繁忙期の助っ人を頼まれた時には必ず快く行ってくれるので、可愛がってもらえるんですよ。いい関係作りにもなり、感謝しています。こちらがよくすれば、よくしてもらえるというのは確実かな。最初が肝心、という部分はありますね。最初にこちらからも働きかけて、認めてもらう努力は必要だと思います。最初に、こいつはダメだと判断されてしまうと、その後キツイというのはあるかもしれない。

楽ではない。でもきっとなんとかなる、できる

– 努力が実って、2015年にJAとまこまい広域優良生産者として表彰されたそうですね。


安達:ほうれん草って夏は30~40日、冬は50日ほどで収穫ができるんです。現在、1棟70坪のハウスを12棟持っていて、全ハウス合わせて年間40回収穫する状況です。それが4年目。最初って土地が元気だからうまくいくんです、これからが勝負。そう言ったことも全部先輩に教えていただいたんですけれどね。ほかの作物を栽培することも含め、勉強しながら道を探しています。

– 今年の厚真町ローカルベンチャースクールでは、農業や六次産業に取り組む人を、開拓者として求めています。ほうれん草農家は、町にもっと増えてもいいのでしょうか。

安達:まだまだ足りないですね。農産物は、ある程度の数を出して産地を認識してもらうことでブランド化ができ競争力も高まっていくものだと思うんですが、そういう意味でも厚真町のほうれん草をもっともっと増やしたい。新しい人が来てくれて、仲間が増えたらうれしいです。決して簡単にできる仕事ではないし、僕も「巡り合わせ」にだいぶ助けられた部分があるので、ほかの人にも必ずそれがあるとは言えないんだけれど。そう、その巡り合わせを得るには、やはりさっき言った「どこにでも顔を出す」っていう行動は必要でしょうね。

– 自然が多い場所で農業をするような生活に憧れるけど、不安でなかなか飛び込めない人も多いと思います。改めて、農業って、どんな人に向いている世界でしょうか。

安達:真面目であることかな。当たり前すぎる答えだけれど、真面目にやらないとできない仕事ではありますよね。今はこうして当たり前みたいにほうれん草が成ってるけど、最初は全然成らなかったんですから。途中まで伸びて黄色くなってしまう。全部抜いて捨てるんです、全部。あれほど空しいものはなかったですねえ。先輩たちに聞いたら、みんな同じ苦労をしたというんで頑張れたかな。何とかなるって自分に言い聞かせながら、その一方でなんとかならないかも…と不安になって。それでも、いや俺は大丈夫だと思うって言ったら、奥さんも「私もそう思う、どんなことしたって生きていけるんだから」って言ってくれて。うちはこんな奥さんだったからやって来られたんだろうなって思いますよ。

実際、まったく農業経験のない我々でも今はこうしてここに来てこの生活ができている。これから移住や新規就農を考えている人たちにとってのモデルケースになれたらいいなと考えているんです。移住前って、みんな家族会議をしますよね。迷って当たり前だし、保証はないし、無責任に「おいでよ」とは決して言えないけれど、やればなんとかなると思うんです。乗り越えて、その先にできた家族の絆という宝物もありましたしね。厚真に来てよかったと思っています。

– 農家同士で足を引っ張り合うのではなく、先輩農家さんがいろいろサポートしてくださって、みんなで農業を盛り上げていこうというのが、厚真町のいいところですね。



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