【大学生×厚真町】学生団体「あるぼら」の厚真町活動日記-『ハスカップ農園での農作業ボランティア』

2021年3月18日

平成30年9月6日におこった北海道胆振東部地震。
北海道初の震度7が観測された北海道厚真町では、被災直後から多くの方に支えていただきました。
そのひとつとして震災後の厚真町に継続して関り続けてくれたのが、札幌の大学生が中心となって活動する学生団体あるぼらです。
東日本大震災をきっかけとして生まれたあるぼらでは、多くの学生を募ってアルバイトを行い、その賃金を災害被災地への寄付や物品購入に充てて役立てるというプロジェクトを行っています。
北海道胆振東部地震支援としても活動を行ってくれたあるぼら。寄附だけではなく、町の様々な場所に出向いて被災地に関わることで、たくさんの町民との触れあいが生まれました。
その活動を通じて、大学生は厚真町で何を感じたのでしょうか。
実際に活動を行った学生が、自分の言葉で記録を残してくれました。
今回の活動日記を書いてくれたのは、田中さんと結城さん。
北海道胆振東部地震で被災したハスカップ農園を訪れてボランティアを行いました。そこで出会ったハスカップ農家山口さんから、ハスカップを通じた熱い想いを受け取りました。
 

<執筆者>

●田中陽菜

北海道大学1年。あるぼらの「相手方との繋がり」を大切にする方針に共感し、活動に参加。

●結城心太朗

北海道大学1年。宮城県出身。厚真のことを知ったのは大学に入ってから。「大学生以外の人々と関わりたい」という思いから「あるぼら」に参加。


私たちは北海道大学の学生団体、あるぼらです。私たちは被災地支援ボランティアの一環として、ハスカップ農園を行っている山口農園

さんのお手伝いをさせていただきました。

山口さんとあるぼらメンバー (左から 吉田 花野  山口さん 結城 立川)

山口さんは幼いころからお母さんを手伝い、苦い実が生るハスカップの苗木を選別するお手伝いをしていたそうですが、農業を職業とするつもりは無かったとのこと。

しかし10年ほどサラリーマンを経験したのち、厚真町に戻り日本一のハスカップ農園を作る決意をしました。それからはハスカップの新品種として開発した「あつまみらい」「ゆうしげ」の品種登録や、町内でのハスカップ栽培を盛んにするために近隣の農家さんにハスカップの苗木を販売したり、消費者のニーズに応えた無農薬栽培への挑戦、若者をターゲットとしたハスカップ加工品の直営店ハスカップカフェLABOの開店…とチャレンジの連続だったそうです。

あるぼらメンバーがボランティア活動として主に行ったのは、ハスカップの植え替え作業でした。

スコップで高さ1.5メートルほどの苗木の周囲をぐるりと掘り、地中深くまで伸びた根ごと持ち上げ、そこへまた新しい苗を植える、というものです。かなり体力を使う活動でしたが、普段はなかなかできない畑仕事は新鮮な体験でした。

ハスカップ植え替えのために穴を掘る様子

ハスカップ畑に堆肥を撒くお手伝いも、普段経験することのないものです。

軽トラックに山盛りの堆肥を、スコップで崩して撒いていくのです。他の所では荷車を使ったり、農機を使ったりするなど、ハスカップ畑の形状に合わせて作業の仕方も変わるのだそうです。

堆肥の山へ向かっていくと、一見してすぐ分かるほどに湯気が上がっていました。堆肥というものは微生物が有機物を分解する時の微生物の呼吸や発酵熱のおかげで発熱しているのだそうです。山口さんは、その温みを活かして、新たな商品開発ができるかも・・・?などとも話してくださり、その発想力はとどまる所を知りませんでした。

軽トラ満載の堆肥をハスカップ畑に撒きます

山口さんは、ハスカップの収穫期の短さ、栽培のしやすさを生かしたハスカップ栽培について考えていました。高齢化が進み、ハスカップの栽培を辞めてしまう人も出てくる厚真町において、いかに日本一のハスカップを維持するか、そのお考えを聞くことができました。

そういったお話から一貫して感じ取れたのは、厚真のハスカップを守り、広めていくという意志と、様々な角度から物事を見て、余すところなくメリットを作り出す姿勢です。例えばハスカップの農作業を手伝うボランティアを募集しても、それだけではハスカップ好きなどの限られた人しか来ないかもしれません。

しかし、他の要素とハスカップを共存させることで、より多くの人にハスカップを知ってもらえる。例えばサーファーを呼んで、農作業の前後には厚真の海でサーフィンをするなど、厚真の他の良さを活かしてさらに多くの人を呼び込むことが出来るということ等です。山口さんのお話からは、ハスカップ以外の地域の強みとの接点を見出し、それまで関わりのなかった人もハスカップに触れるきっかけにする、という姿勢を強く感じました。

農作業のお手伝いの途中で、胆振東部地震で崩れた山の斜面を見せていただきました。山が崩れ山肌が見えてしまっている震災の跡地は、地震の悲惨さを物語っていました。震災当時、山崩れによって大量の土砂がハスカップ畑になだれ込み、多くのハスカップが失われました。同じ場所にハスカップを植え直しましたが、被害を受けていないハスカップと見比べると、素人目にも大きさの違いが分かりました。震災前のように生産できるほど成長するにはまだ時間がかかるのだそうです。

ハスカップの植え替え作業。背景には地震で崩れた斜面が広がる

山口さんは、「厚真のハスカップを日本一にすることと、それを維持することが目標。震災が起きたからだめ、ではなく、ハスカップを通して、まだまだやれるという所を見せられたら、それが厚真の人の希望になる。ハスカップを広めることを通して厚真の復興に貢献したい」と繰り返していました。

どんなに先が見えない状況でも新しいことに挑戦し続けるバイタリティーに強く感銘を受けるのと同時に、お話の端々から周囲の方とのコミュニケーションを大切にされているのが伝わり、まわりを常に気遣うその人柄こそが、地域を団結させる原動力になったのだろうと感じられました。



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