厚真町にある広大な森。僕たちはこの森とどう生きていくか、ワクワクしながら考えた(前編)
2024年3月3日

北海道・厚真町にある、280ヘクタールもの広大な森「環境保全林(https://www.town.atsuma.lg.jp/office/about/event/walking_path/)」。
カラマツやコナラのほか、クロビイタヤといった希少な木も見ることができる、自然豊かな森です。現在は散策路として3ルートが設定されていますが、まだ町民が気軽に訪れるような場になっていません。この森と、これからどう向き合い、生きていくことができるでしょうか。
生態系管理学、特に河川の流域の視点から研究する第一人者、中村太士さんをこの森に招いて、さまざまな意見やアイデア、森への思いなどをお聞きすることにしました。
その相手となったのは、北海道大学大学院にて森林科学を学び、現在は北海道厚真町役場で林業や森林再生を中心に担当している宮久史さん、岡山県西粟倉村を中心に地域の森林や林業に長年関わっている『エーゼログループ』の代表取締役CEOの牧大介さん。
実は、宮さんは中村さんの研究室にいた門下生です。
自然や森を愛する三人のトークは止まらず、おおいに盛り上がりました。
その模様を前編・後編に分けてお届けします。
プロフィール
中村太士(なかむら・ふとし)さん
環境学者・生態学者。北海道大学名誉教授。愛知県出身。北海道大学大学院農学研究科修了。農学博士。1984年より同大学に勤め、2000年より教授に。1990~92年まで、米国森林局北太平洋森林科学研究所に留学。2018年、北海道科学技術賞受賞、紫綬褒章受章。日本森林学会会長、日本生態学会代議員、応用生態工学会副会長などを歴任。24年3月に同大学を退官。環境省中央環境審議会委員、釧路湿原自然再生協議会会長など、各種審議会でも活動中。『流域一貫』(築地書館)、『河川生態学』(講談社)など、著書多数。
宮久史(みや・ひさし)さん
厚真町役場 産業経済課 林業・森林再生推進グループ兼経済グループ職員。岩手県出身。北海道大学大学院にて森林科学を学び、持続可能な社会づくりを模索。博士課程修了後、札幌のNPO法人に就職。研究を続けてきた林業への関わりを増やすため、2011年に厚真町の林務職に転職。研究成果を現場に活かすことを目標に、林業振興施策や町有林管理、野生鳥獣対策に従事。18年の北海道胆振東部地震以降は、地震による崩壊森林の再生にも取り組んでいる。
牧大介(まき・だいすけ)さん
『エーゼログループ』代表取締役CEO。京都府出身。京都大学大学院農学研究科で森林生態学を学ぶ。同大学院修了後、民間のシンクタンクを経て、『アミタ持続可能経済研究所』の所長として森林・林業の新規事業の企画・プロデュースなどを各地で手掛ける。2009年より『西粟倉・森の学校』を設立し、木材・加工流通事業を立ち上げる。15年に『エーゼロ(当時の名称は森の学校ホールディングス)』を設立し、移住起業支援事業、ローカルベンチャー育成事業などを行う。16年より「厚真町ローカルベンチャースクール」の運営を行い、メンターとして関わる。23年に両社を合併して社名を『エーゼログループ』にし、現職に。

人が活用でき、豊かさを実感できるような森に
―まずは今日のテーマ、厚真町の公有財産である「環境保全林」について教えてください。
宮:元々はゴルフ場になる予定で、大規模なリゾート開発がされるはずだったんですが、その計画が頓挫して、平成17年に 町が環境保全林と位置づけた上で買い戻し、町有林になりました。当時から、豊かな森として管理していくことを基本としつつ、林業以外の活用もできるような場所にしていこうという町の姿勢はあったのですが、具体的に何かを実施していたわけではなかったんです。
今改めて、町としてこの森を活用し、豊かさを実感できるような場所にしようと取り組みを進めています。というのも、厚真町も含めて地方は森と人との物理的な距離は近いんですけど、「森を眺める」以外に森の活用方法を知っている人は少なく、森に入ることもなく、十分に森の魅力を楽しみきれていないと思うんです。その理由は、そういう気楽に立ち入れる森林がないことや、森の中で楽しんだ経験がないこともあるからだと考えています。
この「環境保全林」は市街地に近く、地形が平らであることに加え、ササ類などの密生しがちな植物が少ないので、森の中に立ち入りやすいんです。280ヘクタールのうち、天然林が約2400ヘクタール、人工林が約80ヘクタールあります。天然林の多くはナラ類です。特に多いのはコナラで、その天然林は樹齢50〜70年。元々は木を切って木炭にする薪炭林(しんたんりん)として利用されていて、1回切られて自然に再生してきた天然性二次林がほとんどです。人工林は樹齢約30~60年です。
この森を人と森とが共存していることを前提に、森の豊かさをもっとみんなで味わえるようにしていきたいな、と。よく聞くのは「里山を復活させる」といった話なんですが、薪や炭で活用するだけだと経済的な価値として取り出す方法が限定的で、現代の共存の形にするにはもう少し工夫が必要だと思っています。森林への向き合い方として、里山的な考えは尊重しつつも、新しい利用の仕方を考えたいです。さまざまな価値を生み出しながら、生態系を保全できたらいいなと思っています。
今生きている私たちだけが利用するのではなく、将来の人々も豊かさを実感できるよう、経済的な価値を最大化することを目標とせず、長期的な時間軸でウェルビーイングや森の楽しさなどの価値を大事にしながら森林管理方針を決めていこうと考えています。こういう思いを伝えやすい愛称をこの「環境保全林」につけたらどうかなと思っています。これから検討を進めますが、例えば「贈り森」とかも良いかと思っています。現在の森は過去から贈られてきたもので、ここを僕たちなりに考え、管理して、未来に贈っていきたいというコンセプトです。

自分の研究に「ときめいているかどうか」が大切
―中村先生は森林と川のつながりを研究し、2000年から北海道大学の生態系管理学研究室(当時の名称は森林施業計画学研究室)の教授として、多くの学生の指導をされました。卒業生や修了生はさまざまな分野で活躍していて、その一人が宮さんだと知って驚きました。研究室で、何を大事に考えて指導されていたのでしょうか。
中村:僕としてはずっと走りながら夢中でやってきただけという感覚なんですが、外からは、「研究室が楽しそうで、なおかつ研究成果がきちんと出ている」と注目いただき、何を大事にしながら研究室をつくってきたのかという質問をよく受けます。振り返ると、僕の指示通りに学生が動くような組織をつくったら終わりだ、と思っていましたね。僕が持っていないものを学生が持ち込んで、勝手に「これ、おもしろいじゃないですか」と推進していってくれるような研究室こそが強い研究室だと思っていました。強いというよりも楽しい、でしょうか。僕が一番大事にしたのは、「自分がワクワクする研究」です。だから学生から「どうしたら世の中の役に立つ研究になりますか」などと聞かれたら、「いや、それは将来が決めることであって、基本は自分がワクワクすればそれでいいんだ。ワクワクしなかったらアウトだから」「君自身はそのテーマにときめいているのか?」などと伝えていきました。
牧:おお、一般的にアカデミアの世界で求められるような、いわゆる研究の新規性や論文になるかどうかなどよりも、まず一人ひとりがときめいているのかどうか。

中村:もちろん新規性も大事ではあるんですけど、ときめきがなければ結果的に何も生まれないと僕は思っています。書籍や参考書、論文などを見たりして、頭で見つけてくるテーマってつまらないんですよ。
宮:太士さんから、当時よく「ときめかない」って言われましたよ(笑)。ときめかないって言われたら、へこみますよね。でも、そう指摘されるときは、やっぱり本人がときめいていないんですよね。僕が研究室に入ったのは、北海道大学の林学科の砂防学研究室に所属していた太士さんが森林施業計画学研究室(現生態系管理学研究室)に来られたばかりの頃でした。砂防学とは、山崩れや地すべり、土石流などの災害の発生機構と防止・軽減対策などを学ぶ分野です。当時「砂防の先生が森林に?」と思った学生もいたかもしれないけれど、太士さんが来てみんなの研究の多様性が飛躍的に上がったんですね。川の生き物の研究が始まったり、ヒグマやモモンガに目を向けたり。

中村:一般的な分野で分けると、自分自身を狭くしちゃうんだよ。専門をぶら下げていたら、そこから出られなくなるだろうとずっと思っていたんです。我々の研究が、自然の恵みと、暮らしや健康などの幸せの部分にどう繋がっていくかを考えていました。うちの研究室は「ときめき」以外の共通の概念として、木材や災害予防も含めたサステナビリティみたいなものがあったと思います。
牧:自然の恵みと幸せ……、すばらしいですね。僕は森林生態学を研究していたんですが、周りの多くの人たちが森林重視で、特に人の幸せは気にしていないように感じたんですよね。だから、人の幸せも含めて研究成果をどう地域に還元するかまでの視点があるのは、大学という世界の中で非常に珍しい、独特な価値観を共有されている研究室なのではないでしょうか。
中村:詩人・相田みつをさんの言葉「しあわせは いつもじぶんのこころがきめる」を読むと、「そうだよ、みんな自分の心が決めるんだ。それぞれの心にいろいろな引き出しがあるんだから」と思います。それぞれが幸せを感じられるのが一番いいんじゃないかなと思います。

牧:実は、僕は研究を通じて、自然を守ることとその土地に住む人の幸せをどちらも実現していけるイメージが持てなかったので、大学院を出て民間のシンクタンクに就職したんです。学部生のときに中村先生のことを知っていたら、北大に進んだだろうなと。おもしろすぎるお話で、もっとうかがいたいんですが、今日は「環境保全林」のこれからについてもお聞きしなくてはいけないので(笑)。
植物や生物の多様性と、木材生産を両立したい
―「環境保全林」を身近に感じている宮さんは、この森にどんな思いや願いを持っていますか。それが森を贈っていくときの視座としての「ものさし」になる かもしれません。
宮:この森の魅力の一つとして、平らな地形でササが少ないためにとても森に入りやすいんです。ササが少ないという状態であることも森の特徴です。ササが少ないために草本類の多様性も高くて、きれいな花も多く咲いたりしています。森を活用はするけれど、この植生の多様性は壊さずにいたいなと。僕らが手を入れることによってササが増えて、植物の多様性がぐっと下がったら、共存とは言えないのだと思います。この前、「環境保全林」内の川にニホンザリガニがいたり、ホタルが飛んでいるのを見たんです。森に生息する生き物をできる限り認識して、生息環境を守りながら、森林管理をしていきたいと思っています。
牧:森の専門家の宮さんから見ると、厚真町エリアは道内で森の再生力が高く、貴重だと言っていましたよね。「この森で木を切らないとか、木材生産をしないのは惜しい」と。
宮:そうなんです。北海道の森林もさまざま特徴があって、森林の再生力が低いエリアもあります。そういうところで無理に木材生産をするよりも、再生力の高いところで切った方が良いと思うんですよね。今と同じようにさまざまな生きものがいることと、木材生産。それらの両立は、目指す姿として意識していますし、それができているかを測ることは、「ものさし」の一つとして大事だと考えています。
一方で、生物多様性とは、種数が増えれば増えるほど良いという話ではありません。環境保全林は天然性二次林が多いので、原生林はないために目標林型(目標とする将来の森林の姿)の設定が難しいんです。だから迷ってしまうんですけど、それはそれとしてこれから、計画的に原生林に近づけていく場所を設定しても良いのかなと思っています。場所を決めてまったく手を入れない。200年何にも手をつけなかったら元の状態に近づくだろうから、そういう森を未来に贈っていきたい、全部利用し尽くすのではなくてそういう場所を設定したいと思っています。

研究者とそこに住む人たちが研究を重ねる
牧:これからどんなふうにしたら素敵な森になっていくと思いますか。
宮:先ほどのときめきに加えて、中村研究室では「現場には神が宿る」とも言われていました。現場から感じないとずれてしまうので、やっぱりやってみて観察することでしょうね。森に対して仮説を立てて働きかけた結果、それが想定と違っていて、自分たちが思い描いた状態を生まなかったとしたら、その原因を丁寧に分析して「こういう考え方や働きかけが必要なんじゃないか」と改めて仮説をたててみる。観察と結果、そこに生まれるズレや森の中で発見する違和感を無視しないことかな、と。
牧:一般の方々が観察をして違和感を持てるのかなと考えると、例えば町の子どもたちが森を観察するときには、専門的な話にはなかなかなりません。みんなで森と向き合う上で必要だと思う「森のものさし」を育てていくためにはどうしたらいいでしょう。
宮:それは太士さんの、北海道・黒松内町(くろまつないちょう)の話にヒントがあると思っています。あるプロジェクトを20年以上続けたら、町民が自ら研究をし始めているんですよね?
中村:僕はブナの北限地として知られる黒松内町の「黒松内生物多様性保全奨励事業」で、選考委員長をさせていただいています。1996年からやっている、町がブナセンター賞という賞の受賞者に研究助成費を渡して、毎年1回その研究成果を発表していただく取り組みです。成果発表には子どもも含めて町民が40人ぐらい集まって、いろいろな質問をします。20年以上経つと、町民さんたちの質問のレベルが上がっていて、「一般町民がする質問なのか?」と思うほどなんです。
牧:研究者とそこに住む人たちが研究を重ねていくということですね。そんなプロセスが「環境保全林」でも行われると、育っていく「森のものさし」がありそうです。みんなの幸せに繋がるものにしていけるか、じわじわ見えてくるのかなと。
中村:彼らにとっても僕にとっても、「こういう生物がいた町だったんだ」とか新しい発見が必ず出てくるんですよね。子どもは地域に対する思いを持てるだろうし、「こういうことっておもしろいな」と、林業家や研究者、地域に貢献する仕事に就く人など、次世代が育つといいなと思います。
(後編に続きます)

聞き手・文=小久保よしの
写真=三戸史雄