被災からその後につながる関係を -山崎農園とペンネンノルデのケーキの物語

2022年3月8日

北海道厚真町から車で約1時間。観光地としても有名な支笏湖温泉街の一角に「ペンネンノルデ」というかわいらしいカフェがあります。

コーヒーと焼き菓子の優しい香りが漂う店内には、おしゃれなケーキがずらりと並ぶショーケース。
そのなかに、厚真町山崎農園さんのハスカップを使った「ハスカップとコーンミールのケーキ」と、ジャガイモを使った「ジャガイモのバターケーキ」があります。

なぜ、この支笏湖のカフェに厚真町山崎さんの作物を使ったケーキがあるのでしょうか。
そこには平成30年北海道胆振東部地震がつないだご縁の物語があります。

山崎農園の山崎三枝さん、山崎基憲さん、そしてペンネンノルデの安部さや子さん、安部怜さんにお話をお伺いしました。

支笏湖温泉街のペンネンノルデ

北海道の収穫時期に襲った、大規模地震

― 平成30年9月6日の明け方、北海道厚真町を震源とした北海道胆振東部地震が発生しました。北海道で初めて震度7を観測しましたが、山崎さんのご自宅と畑は、まさに最大震度を観測した厚真町鹿沼地区ですね。当時はどんな状況でしたか。

山崎(基) 「自宅はめちゃくちゃな状況でしたが、幸い家族に大きな怪我はありませんでした。でも、家の隣にある農業倉庫(※トラクター等の農業機械や収穫した作物を保管する大型倉庫施設)は床が全部落ちて完全に傾いてしまって。それを見たときに『俺、もう農家終わったな』って思ったんです。いきなり失意のどん底に叩き落とされた感じです。」

山崎基憲さん(左)、山崎三枝さん(右)

「でも、すぐに地区の自主避難所の開設や自警団の見回りといった地域を守る活動も始めました。どこを見ても大変な状況だったけど、とにかく動ける人で力を合わせてやるしかなかったんです。」

― 地震が起こった9月は、ちょうど田んぼや畑も収穫時期でしたね。

山崎(基) 「もちろん、春から育ててきたジャガイモやお米といった大規模な収穫が控えているタイミングでした。

例年なら収穫作業を手伝ってくれるパートさんを数人お願いしているのですが、みんな被災してしまっているので来ることができない。自宅の再建や、地域のこともあるし、とても手が回る状況じゃありませんでした。

このままでは収穫時期を逃してせっかく育てた作物がダメになってしまう。そんな時に、知人の紹介で民間ボランティアを募集して、人が集まってくれることになったんです。」

― 安部さんご夫婦もその一員として参加されていたんですね。

安部(怜)「自分たちのところは被害も小さく復旧が早かったので、カフェを開くこともできました。でも、こんな時に何ができるだろうということを夫婦で話し合って、被害の大きかったところにボランティアに行くことにしたんです。」

安部さや子さん(左)、安部怜さん(右)

安部(さ)「最初は色々な場所に行って、片付けのお手伝いとかをしていました。でも活動しているうちに悩みも生まれてしまって。

町のボランティアセンターのような公的なボランティア支援では、個人の収入に関わる部分は手伝えないという決まりがあったんです。もちろん公平性に配慮するということは大切だと思います。でも、私たちにはちょっと違和感があって。

その人が生活していく糧となるもの、つまりお金になっていく部分を支えなければ、被災した後の生活を立て直すことは難しいんじゃないかと感じたんです。」

― 公的支援ではサポートしきれないところにジレンマが生じてしまったということでしょうか。

安部(怜)「そうですね。それで自分たちの活動が自己満足になっていないだろうか、何か本当に役に立てる関わり方はないだろうかと改めて考えている時に、SNSで民間団体のボランティア募集の情報を見つけました。そこが、山崎さんの畑でジャガイモの収穫作業をお手伝いしていたんです。ちょうど私たちが考えていることにしっくりくる活動でした。」

― どのような方々が集まっていたのですか。

安部(怜)「自分たちを含めて30人くらいのメンバーでしょうか。その日その日で都合のつく人が入れ替わりながら、ジャガイモの収穫をお手伝いしていく形です。高校生や大学生もいたし、サラリーマンとかお坊さんとか、いろいろな人が参加していましたね。」

山崎農園に集まったボランティアの方々と (山崎さん提供)

山崎(基)「日を重ねていくと、作業の段取りを分かってくれている人も多くなって。ジャガイモの収穫はみんなに任せて、自分は稲刈りの作業をするなんてこともできるようになりました。本当にありがたかったですね。」

山崎(三)「色々なものがめちゃくちゃになってしまって先が見えない大変な時期でしたけど、たくさんのボランティアの方たちと一緒に作業しながらおしゃべりをしていることで少し気が紛れる部分もあって。そうしているうちにちょっとずつ笑っていけるようになった気がします。」

安部(怜)「お二人ともすごくちょうどいい距離感で接してくれたんですよね。過度に気をつかわれる感じでもなく、にこやかに受け入れてくれました。山崎さんに会いたいから、何度もお手伝いに行く人もいっぱいいたんじゃないかな。農作業ははじめてなので体は大変でしたが、自分たちも無理なく、楽しんでやれた部分が大きかったんです。」

自分ができることで、継続したつながりに

― その出会いから生まれたのが、「ジャガイモのバターケーキ」と「ハスカップとコーンミールのケーキ」なんですね。何かケーキをつくるきっかけがあったのですか。

山崎(三)「収穫作業が終わったところで、みんなで集まって打ち上げをしたんです。その時に安部さんが、うちのジャガイモを使ったケーキを焼いて持ってきてくれて。

食べたら美味しくてびっくりしたんですよ。野菜がこんなケーキになるなんて、思ってなかったんです。」

安部(さ)「収穫の後にジャガイモをもらったので試しに作ってみたら、みんなすごく喜んでくれたんです。そしたら今度はハスカップもいただいて!」

山崎(三)「そのハスカップは地震が起こる前の夏に収穫して冷凍してあったものなんです。

でも、被災時の停電で冷凍庫も何日か電源が落ちてしまっていて、ほとんどダメになっちゃったんですけど…その最後の生き残りがあったんですよね。そしたらそれも後からケーキにしてくれたんです。」

― そこからケーキが商品としてお店にも並ぶようになったんですね。

ペンネンノルデには山崎農園産のハスカップを使ったマフィンも並ぶ

安部(さ)「とても好評で、毎年お店でも出すようになりました。山崎さんのハスカップを使ったマフィンもあるんですが、そちらもほとんど通年でおいていますよ。

自分の仕事でもあるお菓子づくりで山崎さんの農作物を使っていくことができれば、継続して関わっていけます。それを作ることで自分も山崎さんのお家に作物を買いに行くことができるし、お菓子に加工すれば手に取ってくれる人も増えるかもしれません。

最初はそうやって支援しようと思って作り始めたわけではないんですが、なんだかすごくいい形になっちゃいました(笑)。」

山崎(基)「安部さんは本当に必要なことって何だろうということを考えて、うちに来てくれた。でも、 ”支援とは、こうあらねば!” という感じではなくて、すごく自然体で力になってくれました。だからこそこうしてお互いに良いおつきあいが続けられているのかもしれないですね。」

「ジャガイモのバターケーキ」と「ハスカップとコーンミールのケーキ」

地震の被災地となり、大きな傷を負った厚真町。

しかし、そのなかでも自分に何ができるのか、何が本当の支援になるのかといったことを真剣に考え、こうして継続的な関係を続けてくれるたくさんの方がいました。

あの時に町内のあちこちで起こったこんなご縁は「被災地の未来」を後押ししてくれる、大きな力になっているのではないでしょうか。


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