凍った道を重機で進み、雪の中で木を伐る。マイナス20℃ならではの、厚真町の冬山造林。

2017年3月27日

北海道・厚真町に来たばかりの頃、マイナス20℃にもなる冬場に、林業を行っているという話を聞いた。「冬山造林は、寒さで道が凍るからこそ、重機で山の奥まで入りやすい」と説明を受けても、どんな現場で作業しているのか、本州で暮らす私には想像もつかなかった。林業の仕事を40年近く続けてきた山のプロである栗橋さんに、2月、冬山での作業を見せてもらった。

朝7時から、チェーンソーとともに雪山へ

でこぼことした揺れる雪道を走り、現場に着いた。きぃんと冷たい雪山の中で、どこかからチェーンソーの音、枝を落とすパンパンという音だけが聞こえてくる。人の姿は、見えない。「音がする方に作業してる人がいるはずだ」と音の先へと歩いてみるが、山の中では音が反響するのか、誰がどこで作業しているのかもわからなかった。

「栗橋さーん」とみんなで叫ぶと、山の上の方から、人がゆっくりと降りてきた。町の林業会社の1つである青木組きっての万能選手、栗橋和範さん、62歳。今日の山の案内人だ。

栗橋さんの朝は早い。朝の7時には現場に来て、木を伐り始める。暗くなってくると危険が増すので、明るい時間帯に作業が終えられるようにするためだ。

栗橋:特に冬場は、4時半前には終わるようにするね。早々に天気が崩れて暗くなったり、帰るのが遅くなったりすると、社長がすぐに電話よこすんですよ。おまえどうした、って。事務所にちゃんと帰ってこれるか、心配してくれてね。

じゃあ、と山を登りはじめる。40年近くこの仕事を続けている栗橋さんはひょいひょいと足取り軽く、笹の生えた斜面を登っていく。「おかげさんで、ずっと働いてきて、怪我は1回だけさ。倒した木から逃げるときに、ちょっと足くじいちゃって3週間ほどギブスしてたことはあったね」と笑った。

急な傾斜を登って上から見下ろすと、伐り出されて積み上げられ、雪で白く化粧された材木と重機が小さく見える。



栗橋:図面ではもっと傾斜がゆるいように書かれてたんだけど、やっぱり、実際に現場に行くと微妙に違うんだよね。でもこんぐらいの傾斜なら、まあ条件的には悪くないほうだよ。もっと厳しい現場もあるんでね。

ここはもともと民有林だったんだけど、ゴルフ場をつくるっていうんで買収がかかって、山を持ってた人がみんな売っちゃったのさ。でもこの山には、飲料水を採ってる綺麗な沢があって、水源地でね。町が買い戻して、今は町有林になった。伐期に達した山を町が森林組合に売り払って、それをうちの組へと仕事を下請けに出してるっちゅうことだ。林業会社自体は、町の中にもいくつかあるけど、うちの組は今回たまたま皆伐の仕事になったのさ。

雪で足場の悪い冬山で作業するのは、本州ではなかなか想像もできない状況だ。なぜわざわざ、大変な冬山で、仕事をするのか。

栗橋:たとえば、沢の中で木を搬出するようなときは、雪と泥を混ぜてやれば、しばれる(凍る)と堅くなりますよね。そうすると、今まで重機が入れないような作業道が、沢の中に一時的にできるんです。だから、ふだん夏場には行けないようなところにも、冬場だと入れる。あと、冬は葉っぱも落ちるから、木全体の重さも軽くなってるし、木の状態もわかりやすい。

そりゃあ、やりにくい部分もありますよ。笹の上に雪がかぶって中が空洞になって、歩けない場所もある。道が凍って重機が滑って、なかなか山を登れないこともある。泥を削って滑らないようにしながら搬出用の道をつくったり、冬山ならではの苦労やら工夫やらもいろいろやってるね。

でも、暑いよりは寒い方がまだいい気もするんだよね。夏はワイシャツ着て作業するけど、半袖っちゅうわけにはいかないんだ。葉っぱで切れたりするし、ハチだとか虫だとかに刺されないように。それで動くから、すごく暑くてね。夏は夏で大変なのさ。

白い雪煙をあげ、伐った木はゆっくりと倒れた

木を伐るところを見せてほしいとお願いすると、「ほんじゃ、あの木を伐ろうかね」と、足元の笹をかきわけて斜面を登り、どんどん先へと行ってしまった。あっという間に小さくなる栗橋さん。


今回は、太めの木を伐ってくれることになった。まずは倒したい方向へと木に切りこみを入れて請け口をと呼ばれる部分を作り、その後に、木の幹の中心を部分的に切っておく芯抜きという作業を行う。これを行わないと、幹が裂ける場合もあって危ないらしい。こうしたテクニックは先輩などに教わるものなのかと聞くと、栗橋さんは「いんや」と首を振った。

栗橋:やっぱり人の仕事を見て盗むちゅうかね。特に先輩から教わったりしたってわけじゃあないんだよ。危ない思いをしたくないから、自分で考えてああいう風にやってきた。おっかない思いをいっぱいしながら、どうやったら木と付き合えるか覚えていくっちゅうかね。

木を伐るチェーンソーの音、下で動く重機の音、そしてたまに聞こえる鹿の声。静かな山に、そうした音たちが響く。

ふと山の上を見上げると、鹿が2頭ほどこちらを見ている。木を伐る音が、気になるのかもしれない。若い鹿だった。ピイッピイッと、高い鳴き声をあげ、体を翻して鹿は山の裏側へとかけていった。尾が、白かった。

そうしているうちに、栗橋さんの伐った木が、ゆっくりと倒れた。積もっていた雪が、木に遅れてさらさらと舞い落ち、一筋の白い煙をあげた。


伐り出した木は、下へと降ろし、作業場に積み上げる。


右側にあるのがハーベスタという機械で、青木組では栗橋さんしか使うことができない。2.4メートル、3.65メートルなど、決まった長さに木を玉切りしていく。一緒に作業をする相棒の水野さんは、左側のグラップルという機械に乗り、栗橋さんが切った木を掴んで別の場所へと積み上げる。絶妙なコンビネーションで、作業が進んでいった。

栗橋:機械で切ることひとつとっても、簡単じゃあないんです。なんでもかんでも全部同じに切るってわけじゃあない。木の曲がりなんかもあるから、その見極めができないと切れないんですよ。お金になりそうないい木は長い素材にできるようにと、いろいろ考えてやってます。

皆伐の作業では、1日で4反から5反(0.4~0.5ヘクタール)に生えている木を伐る。本数にすると、約250本ほどだ。「そもそもの山の手入れによって、木の状態も作業効率もかなり変わる」と栗橋さんは話す。

栗橋:今日木を伐ったところなんかは、本当は樹齢59年のカラマツが生えているはずだった。でも実際見てみると、半分以上がナラとかの雑木でね。カラマツは柔らかくてナラは硬いし、本来は使うチェーンソーの刃なんかも違うくらいの2種類の木が混ざり合ってる。山の手入れをしていなかったから、そういうふうになっちゃったんだろうね。

まあ仮に手入れしててもね、全部の木が、同じ方向に傾いてるなんてことはなくって、全部違うんだよ。だから、一つ一つ、これはこの角度で倒そう、こう切り込みをいれようかか考えるんだ。木を伐るには、長年の経験や勘も必要だよね。次の木を伐る段取りだったり、危険を回避するためにまわりを見たり、作業中はいろいろ気を使ってるし、集中してるよ。

春、山に入れなくなると、田植えの時期がやってくる

「長年の経験が必要だよね」と語る栗橋さんが、最初に山の仕事をしたのは、高校生の時だ。

栗橋:おやじも、農家をしながら、冬に木を伐る仕事をしてたんです。うちの組の社長も、もともとおやじと一緒の作業班で働いてたから、子どもの頃からよく知っていましたよ。本格的に林業を始めたのは25歳からだけど、それまでも大体の仕事は一通り見てきていたかな。

高校行ってるときなんかから、林業の仕事は手伝っていたね。小遣いが欲しかったし、学校が休みの土日だけ、アルバイトでね。小さな機械なんかを動かしながら、パルプに切った木だとかをワイヤーに掛けて、車で出せる場所まで運んだりさ。

あとはカラマツの間伐とかもやったし、昔は草刈りとかの植林の仕事もやっていた。今は人が少なくなったから、機械でやっちゃう仕事も多いけど、当時は手作業だったよね。14、5人はいたけれど、みんな高齢になってやめてしまったもんだから。


山の仕事は、5月末から始まり、冬を越して、3月末に終わる。暖かくなってくると、雪が解けて道が悪くなってしまうから作業ができない、と話す。

栗橋:4月からは道がぐちゃぐちゃになって、伐った木を出せなくなるからね、今みたいに凍ってる方が作業としてはむしろありがたい。だから3月末までに今の山を終わらせられると、春に気持ちよく休んでいられるんだけどね。

4月から5月半ばまでは何をしているかというと、農業をしている。「半農半X」と聞くとなんだか新しい働き方のような気がするけれど、季節の巡りや自然の移り変わりにあわせてできる作業は変わっていくから、厚真では当たり前の働き方だ。

栗橋:うちでは、水稲をやってるよ。畑も持っているんですけど人に貸していて、ほとんど手のかからないものだけを作付けしてる。半農半林ってよりは、1年のうちに1週間、農家してるかしてないかわかんないくらい。田んぼも3ヘクタール無いくらいだし、田植えも稲刈りも、機械でやる仕事が多いからね。

田植えはこの辺の地域だと、5月20日前後にやるんで。田んぼに植え終わると、ああ、また山の仕事が始まるなあって。毎年そんな感じなんですよ。うちだけでなくみんな、農家だけだと暇なんで、暇な時期は別の仕事をしてます。青木組は現在働いている人が3人いるんだけれど、そのうち1人は大きい面積を耕してて、専業農家に近いんだ。だから、2人ペアで作業していることが多いね。

90歳の社長が現場に出てんだから、自分もまだまだ

青木組の3人のスタッフは、みんな60代を超えている。そして会社にはもう1人、青木組を立ち上げた青木社長がいる。

栗橋:青木社長は今年で90歳になるんですが、まだ現場に来てるんですよ。結構危ない仕事もあるから、家族なんかはあまり現場に出てほしくないような感じもあるんだけどね。でも、重機にも乗るしオペレーターもやるしね。今日通った道路も、社長が除雪したんですよ。生涯現役だ、って頑張ってる。

90歳で現役というと、社長の青木さんは、もう70年くらいは林業の仕事をしている計算になる。栗橋さんも、もうすぐ40年になろうとしている。そういう風に長く続けられる、林業の仕事の魅力ってどのあたりにあるのだろうか。

栗橋:続けてきた理由ねえ、なんだろう。他にこれといった取り柄もなかったしね。学校を卒業した後はバブルでね、その頃にはメロンをつくってみたりもしたよ。5年くらいは真剣にやったかな。でもバブルがはじけてから、いまいちぱっとしなくてね。学生時代にやってた林業の仕事をまた始めたっちゅうか。

厚真では若い人は少ないけれど、隣町なんかには、今も若い人いますよ。20代、30代くらいの子が林業の仕事をしたいと移住して来たりして、作業班もいっぱいあるんだ。もちろん、続かなくて帰っていったり、別の仕事をしたりする人もいるけどね。

そういう風に『この仕事、向かんな』と思ったら切り替えられるっていうのも…、僕らにはできないことっちゅうか。厚真で生まれて、育って、ずっとここにいるし。年とってくると、なかなか改めて就職も難しいし、慣れた仕事をやっていきたいしね。ここに暮らす限り、今の仕事以外、選べなかったんだ。でもこの仕事を続けてきて、こうやって生活できてるからね、幸せだと思っとるよ。

やっぱり、あそこの現場がひと段落したなあとか、区切りがついた時には気分がいいしね。伐り終わったなあとか、出し終わったなあとか、そういう時に気分爽快になるね。

「仕事ができる人が減っていくのは大変なんだ。来てくれたからって明日からすぐ作業ができるわけでもないし、いろいろ覚えて1人前になるには3~5年はかかる。うちの組は、僕より年上も多いし、数年後にどうなるかもわからんね」と話す栗橋さん。彼のように、昔から仕事をやっていた人たちは、どんどん引退してしまっている。

栗橋さんのお子さんたちは全員娘さんで、林業とは全く別の仕事をしている。「もし息子がいたら、山の仕事を継いでほしかったですか」と聞くと、「いんやあ…」と複雑な表情を見せた。

栗橋:無理には望まないかね。仕事としては3Kさ。危険、きつい、汚いっていうか。こういう仕事するんだったら、今の時代、他になんぼでも仕事あるでしょう。やりたいって言われれば別だけれど…。僕はずっとこの仕事をやってきたけどさ、親としては「子どもにはさせたくないなあ」って気持ちもどっかにあるんだ。難しいね。

やっぱり、家族にはあんまり言わないけど、危険な仕事ではあるからね。朝出たら帰ってこれるかどうかわからん仕事っていうか、昔の炭鉱みたいな感じ。重機動かすのはまだしも、伐倒なんかは、怪我する人もいっからね。「そろそろ年も年だし、山の仕事はやめてほしい」って家族から言われることもあるよ。

でも、社長が90歳でも頑張ってるし…やっぱり自分にとっては、子どもの頃からずうっと世話になっとる人だからさ。社長がやめるって言ったときには自分もやめると思うけど、社長が元気で山に入る限りは自分も続ける。そういう気持ちで、頑張っとるんだけどさ。

栗橋さんは、そう言って少し照れくさそうに笑った。

冬山造林を知る人がこうして山に立っているうちに、私たちはなにかを受け継いでいけるのだろうか。それとも、地域によりよい新しい仕事が生まれ、こうした冬山ならではの林業は、五十年後、百年後には過去のものとなってしまうのだろうか――。「この仕事以外、選べなかった」という人たちが守ってきた山々には、美しさと厳しさが混在していた。



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