復興のその先へ。震災で一度は強制リセットされた平飼い養鶏農家は、ナンバーワンの夢を見る。

2021年10月19日

2021年4月、札幌や苫小牧からサーファーたちがこぞって集まる厚真町の浜厚真地区に、映画に出てきそうなおしゃれなダイナー(食堂)が誕生しました。

店の名前は「FORT by THE COAST(フォート・バイ・ザ・コースト)」。

イタリア料理店で腕を磨いたシェフが手がける本格派のピッツァやパスタ、親鶏の肉を使用したカレーは早くも評判で、コロナ禍でのオープンにもかかわらず話題を集めています。

経営するのは平飼い養鶏場・小林農園を運営するテンアール株式会社です。
実は小林農園は2018年の北海道胆振東部地震によって、すべての鶏と鶏舎を失いました。
それから3年。ゼロからの再出発を果たした代表の小林廉さんに話を聞きました。

地震なんて「なかったこと」にしたかった。

―前回、お話を伺ったのは震災の1年半前でした(https://atsuma-note.jp/kobayashi/)。新規就農から4年目にさしかかったところで、「もう少し規模を広げて人が雇えるぐらいになって、できることなら休みが取りたい」と、答えが返ってきたことを覚えています。

2018年9月6日未明、北海道胆振東部地震の影響で裏山が崩れ、自宅は全壊。鶏舎も泥に埋まる中、小林さん夫婦は命からがらヘリコプターで救出されました。

5年間かけて積み上げたものが一瞬で奪われてしまったわけですが、まずは当時のことを振り返っていただけますか。

小林:救助されて避難所へ着いた時点ではまったく状況はわからなかったのが、避難所にも少しずつ情報が入るようになり、「どうやら1〜2週間で復旧するレベルじゃなく、ずっと戻れないかもしれない」という事実が明らかになってきました。

日が経つにつれて周りは少しずつ普段の生活に戻っていくのに、僕たちには帰る家がない。自分だけが取り残されているような感覚でした。

このまま「やめる」か、それとも「やり直す」か。めちゃめちゃ悩みました。でも悩んだ時間はそんなに長くなく、2週間後には「やり直す」と決めて前へ進んでいました。

小林:僕は厚真町に「拾ってもらった」感覚があるんです。無一文で移住して、チャレンジする場を与えてもらって5年でようやく軌道に乗りかけていました。だから「まだなんにも返せていないじゃん」というのが、続けようと思った大きな理由かもしれません。

やり直す以上は、秒速で立ち直らないと失うものが大きくなることはわかっていました。

たとえば半年間の空白のあとに、5年間かけて作ってきたお客さんはどれだけ残ってくれているのか。立ち止まっている余裕はありませんでした。

―再建の地を浜厚真に決めたのもけっこう早い段階でしたよね。

小林:発災1カ月後の10月3日には刈払機を入れているはずです。ほとんど原野のような土地の草を刈るところから始めました。ここに決めたのは、浜厚真のロケーションが単純に気に入ったから。携帯電話もつながらない山奥で新規就農して、山はいいなぁとずっと思っていたんですが、心のどこかで海もいいよなという気持ちもあって。

海のいいところは浜風で夏は過ごしやすいことです。これって、暑いのが苦手な鶏にとってはうれしいことなんです。反対にびっくりするぐらい風が強くて、ビニールハウスが飛ばされないようスタッフ4人がかりで押さえて堪え忍んだこともありました。

それと、ここは幌里(震災前まで養鶏場のあった地域)に比べて使える面積が大きいのも魅力です。規模拡大を目指していましたから。

―震災の時点ではどれぐらい飼っていたんですか?

小林:1500羽弱です。最初は200羽から始めて、5年かけて1500羽まで持っていきました。ただそこで留まるつもりはなくて、3000羽規模の設備投資を終えたところでした。

―規模拡大を見込んで投資した直後に、地震によって目標も奪われた。

小林:悔しかったですね。だから、「やり直す」と決めたときの最初の目標は1年で3000羽にすることでした。

―5年かけて200羽から1500羽にしたものを、わずか1年で震災前の倍の規模に?

小林:もし地震がなかったら1年で1500羽から3000羽に増やしていたはず。だったら、1年で3000羽までもっていけば、地震は事実としてあるけれども、ほぼ「地震はなかったことにできる」という妙な感覚があったんです。

がむしゃらでした。鶏舎を建てて鶏を迎え、すぐに新しい鶏舎を建てることの繰り返し。鶏は6カ月前に注文をしなくちゃいけないんですが、とりあえず注文して鶏を迎える日までに鶏舎を建てるわけです。友人やボランティアさんにもたくさん助けてもらいました。震災から1年間はかなり追い込みましたね。

―結果的に1年で目標の3000羽をクリアしたわけですね。

小林:そこでようやくひと息つけました。

町内でも多くの方が犠牲になり、つらい目に遭っているので「地震はなかった」なんて言うつもりもないし、僕らも新築の住居を含めてたくさんのものを失ったから、事実として地震はあったけれど、僕の中では「なかったこと」にできた瞬間でした。

おいしい!かっこいい!で来てほしい。

―1年で3000羽の目標を達成したあと、法人化(2020年2月25日)、オリジナルマヨネーズの開発(2020年4月)、そして移住から10年目にあたる今年(2021年)の4月にはダイナー(食堂)&直売所をオープンします。

小林:そもそも養鶏をスタートしたときに、いつかは自分が育てた卵や、卵を産み終えた親鶏の肉を出す店を持ちたいと考えていました。ただ、「卵かけご飯」のように、僕でも簡単に作れてしまう料理を出したくはありませんでした。卵を買えばお客さんも家で食べられるでしょうし。飲食店を始めるなら、きちんとプロが作る卵料理を提供したかったんです。

―店名の「FORT by THE COAST」は?

小林:FORTの直訳は砦(とりで)で、「隠れ家」「たまり場」という意味合いもあるそうです。だから「海沿いの隠れ家」「海沿いのたまり場」という感じですね。

―たまご屋カフェではなく?

小林:そうですね。外観や内装もファームレストランっぽさはあまりないですよね。「生産者」が前に出てくるのは素材だけでいいと思っています。実際、養鶏農家が運営する飲食店だと知らずに来られるお客さんもたくさんいますよ。周りに何もない農地のど真ん中にお店があって鶏の鳴き声が響くので、それで初めてたまご屋さんなんだって気づくみたいで。

カフェというのもいやだったんです。ダイナー、食堂です。イメージとしては、アメリカのうら寂しいモーテルの隣にポツンとある映画に出てきそうな食堂です。店員はレストランのようにお客さんを席まで案内しない。食べ終わったあとはセルフで食器を返却してもらう。必要最低限しかスタッフが介入しないスタイルです。

とにかくお客さんにはシンプルに、「おいしくてかっこいいお店」と記憶してもらえるようにしたかったんです。

―ピザやパスタが中心ですが、料理はどうやって決めましたか?

小林:メニュー構成も含めてシェフに任せています。面接のとき、こちらがやりたいことを伝えたあとに「パッと思いつく料理はありますか?」と尋ねたら、「ピッツァですね」と即答したのでこの人に決めました。理解してくれているから安心だなって。もしそこで「卵かけご飯です」って言われたら、そうか伝わっていなかったなってなるじゃないですか。あと、「ピザ」じゃなくて「ピッツァ」って言ったのも良かったんです。プロって感じがして。

おかげさまでピッツァは好評ですよ。オープン半年になりますが、それなりに繁盛しているのは彼のおかげです。彼の作る料理がおいしいから来てくれる、そう考えています。

―震災から1年でゼロから3000羽に増やし、同時に従業員も抱えて、法人化、加工品開発、さらにはダイナー&直売所のオープンまで、急ピッチで事業の幅を広げてきました。この先の目標を聞かせてください。

小林:農場に関しては現在4000羽強の規模ですが、来春までに7000羽にする準備を進めています。ただ、その先は?となると、正直白紙です。いろいろな方と関わる中で、次に何をするか意思決定をするときが、この先きっとあるんだと思います。来年あたり突拍子もないことを言い出しているはずです。

自分の中で漠然とあるのは、平飼い養鶏というニッチな業界の中で、何をもってかはまだわからないけれど、北海道で一番になりたいですね。規模なのか、知名度なのか、それはわかりません。「北海道の平飼い養鶏といえば10a(テンアール)だよね」って、いつかなれたらいいなとは思っています。

集まれ!僕より優秀な人。

―それを実現するためには、これからもっと人の力が必要になってきますね。

小林:そうですね。養鶏部門も店舗部門も積極的に採用を進めたいと思っています。

―どんな方に来てほしいですか?

小林:自然養鶏やスタートアップ企業に興味のある人はもちろんだけど、そうじゃなくても全然構いません。たとえば、うちの養鶏部門には「毎朝サーフィンに行ける環境で働きたい」といって入ってくれた人もいます。「北海道で生活がしたい」と道外から移住した人もいます。目的はそれぞれでいいんです。ここで働く目的を自分なりに見つけてくれたら。

小林:はっきり言ってルーティン仕事が山ほどです。養鶏部門でいえば、朝7時に出社して、エサをやって、水を替えて、卵を集めて、鶏舎の掃除をして。それから卵をきれいに磨いて、梱包して、出荷の準備をして…。その繰り返しです。店も同じようにルーティン業務がほとんどです。

だけど、どんな仕事もそういうものですよね。

うちの会社はまだできたばかりで、規模も小さく、社長である僕と従業員との距離がものすごく近いというのは大企業とは違う点だと思います。距離が近い分、働く人にとっては窮屈かもしれないけど、僕がしっかり見ているので、光っている人がいればその人に新しい事業を任せることになるかもしれない。

そういう意味では僕より優秀な人に来てほしいと思っています。すべてが僕より優秀であれば僕の存在理由はなくなるけど、ある分野において僕より優秀であってくれたらそれがいい。

たとえば、養鶏部門の責任者は僕の弟ですが、彼は養鶏にかけては僕よりずっと優秀です。生き物を管理するので細かいところまで目が行き届かなければならないし、仕事自体も丁寧じゃなきゃいけない。その点、弟は仕事が丁寧で早い。常に仕事に効率を求めています。そういう意識を持って仕事に臨んでいるから、ほかのスタッフにも的確に指示ができる。養鶏の仕事が合っていたんだなって思います。

小林:僕の役回りは描くことだと思っています。描いたことを実践するのは、僕よりそれに向いた人の方が絶対にいい。たとえば調理に関してはシェフがいてくれるように。社長とフラットな位置に従業員がいる方がそれぞれ力を発揮しやすいし、良い関係になれると思うんです。なので、こちらからの希望はふたつ。優秀な人!目的を持って通ってくれる人!

―逆に、「こういう人は難しい」と思うのは?

小林:ひとのせいにしちゃう人。ひとのせいにしないって、簡単なようで難しいですよね。生きていれば目の前には選択ばかりで、何を選び取るかは自分次第です。選んだ道でつまずいたとしても、その道を選んだのは自分自身だと引き受けることができれば学びになる。選択に対してちゃんと向き合って、その選択に責任を持つ、そういうのが大事ですよね。

他者のせいにしない。環境のせいにしない。地震のせいにもしない。土砂崩れが起きそうなところを選んで住んだのは自分なんだから。そこに住んだ自分が悪いんです。

現在は過去の自分の選択でしかない。未来は過去の選択でしかできあがらない。振り返ったときに、それはすごく思います。

―地震さえも「ひとのせいにしない」というのは、実際に乗り越えた人間だからいえる言葉ですよね。今日はありがとうございました。

人生は選択の連続です。本記事を読んで、もし10a(テンアール)の事業に興味を持ったなら、小林廉という人間をもっと知りたくなったら、あるいはサーフィンが大好きで仕方ないなら、テンアール株式会社で働くことを選択肢に加えてみてはいかがでしょうか。

テンアール株式会社の採用情報はこちらから https://10a.jp/staff/

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