ブラックアウトを越えて、イノベーションで挑む北海道電力の脱炭素社会と未来への挑戦

2022年9月5日

2022年4月6日、北海道厚真町は「ゼロカーボンシティあつま」を宣言。社会全体が脱炭素を目指す中、厚真町にはその社会目標の達成に向けて挑戦する企業があります。浜厚真地区に苫東厚真発電所を有する北海道電力株式会社。北海道全体の電力供給で重要な役割を担う同施設には忘れられない日があります。2018年9月6日、厚真町で最大震度7を記録した平成30年北海道胆振東部地震の影響で北海道全体がブラックアウトした日。今回は地震発生当時の同施設所長で現在は取締役常務執行役員の齋藤晋さんに、これまでのキャリア、発災時のこと、火力発電を中心とする電力供給に関する現状、そして未来へ向けた思いについてお話を伺いました。

人事労務部から総合研究所まで「人・物・金、そして全社目線」すべての感覚が磨かれた人事異動

――北海道電力を志望されたときのことを教えてください。

齋藤:まず初めに「北海道に貢献したい」「北海道の自然を守りたい」そんなことを思いましたね。それで北海道の会社でと考えました。私は北見工業大学の環境工学科卒業ですが、所属した研究室には重油のボイラーがあり性能試験などをしていました。それで、だったらボイラーで作った蒸気でタービンを回し電気を作る発電所のことをやってみようかなと思いました。

――入社後の歩みについて聞かせてください。

齋藤:1983年に入社し滝川火力発電所〔現在、滝川テクニカルセンター(送変配電、通信、水力発電の研修施設)〕に配属になりました。ここでまずは「発電のいろは」を学びました。その次に発電所を保守メンテナンスする役割を担う火力保守センターに配属になりました。どう効率的にメンテナンスするか?どう設備投資するか?といった「物と金の感覚」を養いました。その後は人事労務部に異動となりました。人事労務部では新卒採用や取り組むべき業務と人件費を基に社員規模を計画する要員計画に関わり「人の感覚」を養うと同時に全社的な視点を持つことができました。 

――人事異動を通じて「人、物、金、そして俯瞰的な目線」を手に入れたのですね。

齋藤:はい。その後、総合研究所へも異動し、もう一度人事労務部に戻ることになります。総合研究所では顕微鏡をのぞきながら金属の劣化などについて研究し、設備の余寿命診断や設備損傷原因分析・評価を行いました。探求心が刺激されましたね。人事労務部に戻りしばらくしてから企画部に移り、火力だけでなく全社の設備投資計画に携わりました。そこから火力部に戻り、その後厚真町とご縁のある苫東厚真発電所の所長となりました。

――所長時代はどのように発電所運営をされていましたか?

齋藤:発電所をひとつの会社と捉える。自分はそこの社長だと考え「世界で一番の石炭火力発電所になる」と誓いました。より安く、より効率的に発電し電力を届ける。そのためにはデジタル技術をたくさん導入し、効率的であること、他がやっていないことを先駆けてやる、そういう姿勢が必要だと思っていました。そしてここの所長をしているときに胆振東部地震を経験しました。

あつま田舎まつりに所員の皆さんと参加する齋藤さん(中央)


――発災当時のことは後ほど詳しく聞かせてください。その後、現職となりますか?

齋藤:そうですね。全ての火力発電所を統括する部署である火力部の部長を経て、現職となります。

――本当にさまざまな部署を経験されていますね。

齋藤:人事労務部の次に総合研究所へ異動と言われたときは「180度方向が違う職種になるけど。何を考えている会社だ?」と思いましたねぇ(笑)。私は希望通りの人事異動になったことがありません(笑)。ひょっとすると人事労務部と総合研究所と両方配属になったことがあるのは私だけかもしれませんね。

電力の安定供給における火力発電の役割

――北海道電力の使命とは何ですか?

齋藤:周波数が一定で電圧を変動させない質の高い電力を低廉で提供すること。これを実現するために発電、送電、変電、配電、営業等の各事業が連携して電力をお届けする必要があります(現在は、電力システム改革により送配電事業は法的分離により別会社化)。そのため、地域の皆さまのご理解とご支援を賜り、電力供給のためのさまざまな設備を北海道中に建設・設置させていただく必要があります。ですから我々は地域の皆さまとともに発展していきたいと考えており、「北海道の発展なくして弊社の発展なし」と考えています。北海道のお客さまが電気を利用していただけることにより、利便性が上がり生活が豊かになる。そこに貢献すること。そして脱炭素社会を目指し、2050年のゼロカーボン北海道に向けてしっかりやっていくことです。

厚真町に立地する苫東厚真発電所


――昨今、燃料価格が上昇しています。安定的で低廉な電力の供給において、これはどのような影響がありますか?

 齋藤:大きな影響があります。低圧の電力をご使用いただいているお客さまの電気料金は「燃料費調整制度」というものがあり、これは為替レートや原油・海外炭の燃料価格の変動を迅速に電気料金に反映させるものです。これまで、低圧料金の燃料費調整制度に上限を設けていましたが、燃料費の高騰による経営への影響から、低圧の自由料金プランにおいては、その上限を廃止させていただきます。お客さまには大変申し訳ありませんが、ご理解をいただけるよう、丁寧にご説明していきたいと思います。北海道は現在日本一電気代が高いのですが、北海道には「寒冷、積雪」の特徴があり、厳しい気候風土のなか設備を設置する必要があります。また、首都圏では1本の電柱に何十人もの利用者がいますが、北海道では1人に電気を届けるために電柱が何本も必要になり「広大・過疎」の構造的な課題への対応があります。こうした状況を踏まえしっかりと効率化を追求し、電気料金の低廉化を図らなければなりません。

――そのような中でどのように価格高騰リスクを管理していくのでしょうか?

齋藤:日本には資源がなく、燃料は輸入に頼らざるを得ません。石油に頼った発電だけあれば中東の情勢の影響を受けますし、LNG(液化天然ガス)だけでもロシアの影響を受けてしまいます。ひとつの燃料、ひとつの発電方式に頼らず、多様な燃料、多様な電源で考える必要があります。化石燃料だけでなく再生可能エネルギーも積極的に活用する必要があります。

――原子力についてはいかがでしょうか?

齋藤:非常に重要だと思います。発電時にCO₂を出しませんし、確立された技術で成り立っています。現在、泊発電所の再稼働に向けて国の安全審査を受けている段階ですが、審査に真摯に対応し、早期に再稼働させたいと思っています。

――再生可能エネルギーについては、どうでしょうか?

齋藤:安定した電源になるためには技術革新は欠かせません。現状における再生可能エネルギーは不安定な電源であり、例えば太陽光の場合、昼間は発電できますが夜はできませんし、曇りでも発電量が落ちてしまいます。再生可能エネルギーによる供給力が上下動する分、それを補う形で調整しているのが火力発電です。 

厚真町内に設置されている太陽光ソーラーパネル。クリーンなエネルギーである一方、天候により発電量が変動する課題がある。

――石炭を燃やす火力発電でもそのように柔軟に出力調整ができるのですか?

齋藤:石油に比べれば石炭は火が付きにくく、消えにくいです。バーベキューで木炭に火をつけるのに時間がかかり、逆に火がつくとなかなか消えないのと同じです。しかしながら、苫東厚真発電所の4号機は石油並みの性能になっており、大きな負荷変動に耐えることができます。

――それはすごいですね。

齋藤:また、最低出力が15%でも稼働できるように設計されています。海外では、発電は高出力で長い時間稼働する方が効率が良くなるため、わざわざ低出力で稼働させません。出力調整するとなると稼働を止めてしまうのですね。しかしながら一度完全に止めてしまうと再稼働させるには時間がかかってしまいます。日本では再生可能エネルギーを最大限に活用し、同時に燃料等の資源を有効に活用するため効率的に発電所を運用する必要があります。そのため、そのときどき上下動する電力供給に対応できるように、完全に止めてしまわず少ない出力でも稼働できるようしておく。特に苫東厚真発電所4号機ではそのような設備改良を行っています。現在では新設発電所の基本設計となっています。

――なるほど。しかしながら脱炭素社会に向けては「石炭を燃やしてCO₂を出している」との目で見られてしまいますよね。

齋藤:そうですね。我々としては、再生可能エネルギーの導入拡大は必須と考えます。ただし、その調整役として火力発電は必要です。そう考えると、CO₂の排出量をいかに少なくするか、もしくはCO₂は出すがしっかりリサイクルをしたり、固定できればいい。そういう技術を確立することで石炭が悪者じゃなくなると思います。

――非常に勉強になります。

齋藤:化石燃料、再生可能エネルギー、原子力すべての電源を含めて、エネルギーのポートフォリオを組む。そのバランスを未来に向けて変えていく、整えていくことが大切だと思います。

北海道胆振東部地震を越えて

――間もなく9月6日を迎えます(※取材は2022年8月に行われた)。胆振東部地震から丸4年となります。齋藤さんは当時苫東厚真発電所で所長をされていましたが、当日はどのような様子でしたか?

齋藤:寝ていたのですが「ドーン」と大きな音がして、何が起きたんだろう?と。最初の大きな縦揺れから横揺れに変わると、自分の乗っているベッドが私を乗せたまま横にずれる。ものすごい揺れで、隠れなければと思うもののベッドから降りることができませんでした。停電にもなりましたし、発電所が心配で。発電課長に連絡したところ「1号機が動いている。2号機と4号機は止まっている」と。2号機と4号機はそれぞれ60万kW、70万kWを発電しており、これが止まっているというのは、北海道にとって非常に危機的な状況であることはわかりましたので「とにかく1号機を動かし続けてくれ」と指示しました。そして津波の発生有無を本社に確認した上で、すぐに発電所に向かいました。その後25日間発電所で寝泊まりすることになります。

――25日間…。到着したとき発電所の内部はどのような状況でしたか?

齋藤:真っ暗で、1号機でボイラーの漏洩音が鳴り響いていました。午前4時前くらい(地震の発生は午前3時7分)には着いていたと思いますが、建屋が損壊しているかもしれないと思い、危ないから明るくなって安全が確認できてから設備の状況の確認をしようと指示しました。最終的に発電機は3台とも止まってしまいましたので、いち早く発電を再開させようと思うものの、「さて、これからどうしようか」という感じでした。まずは現状把握をしようと、設備の台帳を確認しながら所員全員で全ての機器に対して目視点検を行い、健全か否かの記録を作りました。損壊の少ない設備群から手を付け、少しでも早く3台ある発電設備のうちの1台でも発電を再開しようと。そうしたところ4号機だけボイラーに異常がないとのことだったので、起動に向けた準備を進めていたところでタービンから火が出ました。非常に無念な気持ちでいっぱいでした。さらに消火のために、まだ熱を持っている設備に放水することになり、急激な冷却で金属材料の変形や材料自体の劣化が起き、設備の取り替えになるのではないかと愕然とした記憶があります。工程会議を1日に2回実施して作業を調整しながら進めるのですが、いざやろうとすると、あれがダメ、これがダメと出てきてしまう。社員総出で対応しました。課長職以上は24時間体制でした。日勤者は2班編成に変更して2交替24時間体制とし、運転員の3交代勤務者は非番人員を出勤させ増員体制としました。加えて本店や当時建設中であった石狩湾新港発電所の建設所や本社から、発電所を熟知している選り抜きのメンバーを派遣していただきました。

――本当に大変な状況ですね。

齋藤:そうですね。でも、私は全然眠たくなりませんでした。興奮して眼が冴えてしまって。寝ないとまずいのではないかと思い、睡眠サポート剤を飲んでもみたのですが、それでも全く眠くなりませんでした。頭だけは働かせようと考え、朝、昼、晩、深夜の4食食べて対応していました。

北海道胆振東部地震の大規模崩壊地の現在(2022年6月撮影)の様子。中央には鉄塔が見える。北海道の各地に鉄塔や送電線を設置する必要がある。


――そうやって皆さんで対応されて最後の電源が回復したときはどうでしたか?

齋藤:9月25日時点で3台全て稼働することができました。2号機はまだ最大出力60万kWとはいかず15万kWの発電量でしたが、それでも「ようやく全部が立ち上がったぞ」と、皆と一緒に職場でお互いを労いあいました。同時に地元で縁のあった企業の方々から応援と感謝のメールが届き、胸が熱くなったことを覚えています。

――本当にお疲れ様でした。

齋藤:グループ会社や工事の協力会社、道内の商社、更には応援に駆けつけていただいた東京電力F&P㈱(現㈱JERA)の皆さま、また、消防署をはじめ地元の関係者の皆さまなど、多くの方々に支えられ復旧することができました。本当に感謝申し上げます。中でも約3週間という期間で復旧が果たせたのはメーカーさんの協力が大きかったです。国からの要請もあったとは思いますが、地震発生直後からメーカーさんが応援に来てくれました。会議室のひとつひとつが各メーカーさんの部屋になりました。設計がわかる人だけでなく、溶接する人から配管加工をする人まで、あらゆる役割を担える人が来て、適切なアドバイスと労を惜しまず作業していただいたおかげで、早期復旧が可能となりました。先ほどお話ししましたタービンから出火後の放水による金属材料の変形や材料自体の劣化が心配でしたが、後の分解点検で金属材料自体に異常はありませんでした。しかし、タービン軸が歪んでしまい、このままでは運転させられない状況でした。そんな中、タービンメーカーさんから若干過酷な試運転による補修方法の提案があり、試運転実施の決断に相当の覚悟を持ちましたが、試運転により歪みを解消することが出来ました。ホッとしましたし、メーカーさんには感謝してもしきれないような思いでした。

脱炭素社会へ向けて、イノベーションを起こし未来を実現する

――北海道電力の未来についてどのようにお考えですか?

齋藤:北海道だけではありませんが、環境変化が非常に大きい状況です。最初にお話しした低廉な電力を安定供給するためには、今までにはない発想で効率を上げていく必要があります。そしてこれまでと違う新しい付加価値を提供していく。デジタルへの転換を積極的に推し進め、より少ない人数で仕事ができるように創意工夫を重ね、そこで生み出された人員で新しいことを進める。北海道中に張り巡らせた送電線はただ電気を送るためのインフラではなく、改めてデジタルデータインフラとして捉えてみる。エネルギーを作り送るだけでなく、地域内に配置された再生可能エネルギーや蓄電池を管理し「より効率の良い電力運用」を実現するための管理システムを構築する。さらにはデジタルで、自治体、企業とのつながりを持たせ、地域の皆さまの利便性、豊かさの向上から企業間の価値向上につなげ、ビジネスチャンスに結び付ける仕組みを提供していく。お客さまの価値観に基づくビジネスに変革し、ご提供するものはモノからコトへの転換を図る。以上のような発想をもって事業を変えていかなければ生き残ることができないと考えます。

ゼロカーボンシティを目指し厚真町が建設した木質バイオマスボイラー。奥に見える土地にはボイラーの排熱を利用したイチゴの栽培施設が建設される予定。

――カーボンニュートラルに向けてはどのようなことが必要でしょうか?

齋藤:まずは再生可能エネルギーの安定化。より効率的で寿命が長い蓄電池が開発される。余剰電力で水素を作り、その水素で燃料電池を介して発電する。今もやっていますが余剰電力で揚水し水力発電を行う。これらは現状非常にお金がかかります。これをコストダウンしていくことが必要です。そして調整役である火力発電ももっと革新していく必要があります。石炭を用いた火力発電は100年以上の歴史を持ちます。当初20%~30%程度だった発電効率は46%ほどまで上がっています。石炭だけでなくアンモニアやバイオマスと一緒に燃やし石炭の使用量を減らす。CO₂を回収し有効活用させる、そんなイノベーションに力を入れます。

インタビューに回答する齋藤さん

――エネルギー分野はイノベーションを加速させていく必要があるのですね。

齋藤:アンモニアを用いることや水素を作り出す取り組み、さらにはCO₂分離・回収・輸送技術についてはすでに検討を始めています。水素を作れば同時に酸素もできます。酸素を水槽に送り込めばより多くの魚を養殖することができる。発生するCO₂は農作物の光合成に必要ですし、炭酸を作ることもできます。電力を取り出せば熱も出ます。さまざまな副産物が生まれます。これらを無駄にせず有機的に連動させて利用していくことが循環型社会につながると思います。

――それだけさまざまなリソースがしかも大量にあるとなれば、外部のベンチャー企業との連携も面白そうです。

齋藤:そうですね。現所長の菅原を紹介しますので、ぜひ、一度より詳しく話を聞いていただいて、具体的に何ができそうか考えてみてほしいです。

――ありがとうございます。ぜひ、よろしくお願いします。それでは最後にひとことお願いします。

齋藤:私はあの震災のブラックアウトを経験し確信していることがあります。困難は人を成長させ、メンバーを団結・結束させる。あのとき、誰もが「復旧」という同じ目標を持つことで復旧が実現しました。誰もが共通な大きな夢として「脱炭素社会」という未来の絵を共有することができれば、この社会難題も必ず乗り越えられる。そう思っています。脱炭素・循環型社会に向けて共にがんばりましょう。



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