「たすきをつなぎ直すように」。地震で崩れた森を再生し林業を立て直す、長い道のりのはじまり。
2021年9月29日
2018年9月6日に発生した北海道胆振東部地震は、最大震度7を北海道で初めて観測するとともに、崩壊地面積が44平方キロメートルに及ぶ、明治以降国内最大規模の山腹崩壊を引き起こしました。
厚真町をおおっていた美しい森林の多くが土砂とともに滑り落ち、田畑を飲み込むと同時に、林業のなりわいそのものも奪っていきました。
未曾有の山腹崩壊から3年。
厚真町役場の林務担当職員として森林再生と林業復興計画に携わる渡辺洋平さんに話を聞きます。
【渡辺さんプロフィール】
渡辺洋平/厚真町産業経済課 主幹 林務担当。千葉県出身。玉川大学卒業後、青年海外協力隊に参加し、海外で植林活動に従事。帰国後は水源林造成事業に携わる。2017年4月、厚真町役場入職。
たった一夜でズタズタになった「たすき」
―まず、北海道胆振東部地震による山腹崩壊で感じたこと、被害の大きさについて改めて教えてください。
渡辺:「こんなことが一夜にして起こるのか」というのが率直な感想です。国内では明治以降最大規模、海外の事例を含めても、地震による山腹崩壊としては崩壊箇所数、面積ともにワースト5に入る災害だった可能性が指摘されています。
特徴的なのは30度以上の急な斜面だけではなく、丘のような緩い斜面まで崩れたことです。この辺り一帯の森林は9000年前に樽前山が噴火した際の火山灰が厚く積もっていますが、北海道胆振東部地震の際には、前日まで続いた長雨と地震の揺れの影響で、9000年間安定していた斜面が崩れました。
深刻なのは林業への影響です。林業はとても長い時間をかけて育まれる産業です。木を植えてもお金になるのは40年、50年先。自分一人の代では完結しません。そうしたことから、先輩たちから「林業は駅伝みたいなもの」だと教えられました。つまり、「たすき」をつなぐように、先代が守ってきた木を伐って、また新たに苗木を植えて次世代へ託していくわけです。
ところが、一夜にしてたくさんの場所で「たすき」が傷んでしまいました。とても辛いことです。
厚真町では今、町全体の森林再生をどのように行っていくかという計画作成を、国や北海道と歩調を合わせながら行っています。
「一日も早く元に戻したい」とは思いますが、山腹崩壊した場所に、厚真町で主に植林されるカラマツをそのまま植えれば済むほど話は単純ではありません。国の出先機関による調査や、北海道が行う植林の実証実験の成果を踏まえながら、崩壊地の状態にあわせ、その場所に適した方法で森林の造成を進めていく必要があります。
また、そもそも山を手入れするための道も相当なダメージを受けているので、道の復旧も優先して行わなければなりません。主要な林道から復旧工事を始めて林業専用道、森林作業道へ。人間の体にたとえれば、大動脈から手を付けてその次に毛細血管を整備していくイメージです。
いずれにしても、森林を再生し林業を復興するには、私たちの代だけでは完結できないことは間違いありません。
―今回の地震による山腹崩壊の規模がいかに大きく、その再生には次世代以降にわたって長い時間がかかることがよく分かりました。次に、渡辺さんが町職員としてどう森林再生や林業復興に向き合っていくのかを聞かせてもらうため、渡辺さんご自身について伺います。
林業の川上から川下まで見てみたい
―渡辺さんはもともと厚真町の方ではなく千葉県の出身で、震災前年に移住し、厚真町役場に入ります。なぜ厚真町へ来ることになったのか、そもそもどうして森林の仕事をするようになったのか、教えてください。
渡辺:森林や環境問題に興味を持ったのは小学生の頃です。当時、熱帯雨林の破壊をテレビで知り、子ども心にショックを受けました。
大学では林学を学びますが、就職氷河期だったこともあって卒業後すぐには就職せず、青年海外協力隊に応募してアフリカのタンザニアへ行きました。
タンザニアでは植林活動に携わりました。日本とは違い、乾期と雨期があり、苗木を育てるのにも工夫が必要でした。タンザニアの人たちと一緒に苗木を育て、植林を行ったのですが、彼らは木を植える一方で薪や炭の原料として使うため、どんどん木を伐らざるを得ません。計画的に伐って、植えるということができればよいのですが、炊事や暖を取るために木が必要なのでどうしても手に入るところから木を伐ってしまいます。必要な都度、木を伐るからいくら植林をしても追いつきません。その結果、昔は乾期でも豊かだったという川の水が減って蛇口から3日に1度しか水が出なかったり、雨期には蛇口から泥の水が出たりして、薪や炭を得るため遠くまで行かなければならないといった問題が発生していました。
植林をすれば人の生活も良くなると思っているところがありましたが、ただ単に植えるだけではダメなんだ、それだけでは人の生活を豊かにすることにつながらないんだというということを強く感じて帰国しました。
その後は植林事業を行う会社で働いたり、国内で水源林の造成をする事業に従事しました。長く森づくりに関わる中でだんだんと「木を伐ったその先」、つまり木がどこに売られ、どんな価値を生み出しているのかに興味を持つようになりました。それで、木を植えるところから伐るまでではなく、使うところももっと見てみたいという気持ちで、市町村の林務課で働いてみたいと思うようになりました。
―原点としてタンザニアでの経験があり、木をお金に換えるまでが林業では大事だと気づいた。だからこそ、木を植えるところから伐採、製材、製品化まで関われる立ち位置で仕事がしてみたくなった、ということですね。
渡辺:そうです。何十年もかけて大切に育てられた木が、たとえばバイオマスやパルプの原料として使われる。そのこと自体が悪いわけではないけれど、柱や家具などもっと価値が発揮されるかもしれない木まで十把ひとからげで扱われるのはどうなんだろう。もう少し丁寧に、木それぞれの価値を高めることはできないだろうか。そこに関与してみたいと思ったのが役場を志望した理由です。
―さまざまな市町村がある中で、なぜ厚真町だったんでしょうか?
渡辺:林業のポテンシャルを考えたときに、樹木の成長が早い九州か、森林面積が圧倒的に多い北海道のどちらかに行きたいと思いました。林務担当職員を募集している市町村を調べたところ、たまたま厚真町が見つかったんです。結果的に厚真町へ来てすごくよかったと思います。ここには木を植える人から、伐る人、加工する人まで、小さな町の中に若手のプレーヤーがそろってきています。彼らが緩くつながりながらそれぞれのなりわいを形成している。そこがとても魅力的ですね。
―ところが厚真町に移住して1年半後に、震災で多くの森林資源が失われてしまいます。次に渡辺さん自身が森林再生と林業復興にどう携わっていくのかについて伺います。
森と人との関係をつくり直したい
―これから町職員としてどのように森林再生、林業復興に関わっていくのでしょうか。
渡辺:林業復興を考える前にまず理解が必要だと思うのは、崩壊斜面からの土砂の流出状況が尾根から谷まで一様ではないことです。崩壊斜面の勾配が急だったり、土壌条件の悪いところでは、せっかくカラマツを植えても育たない可能性があります。少しでも早く林業復興を願う立場としては厳しい現実ではあります。
ただ、崩壊斜面を歩いていて勇気づけられるのは、土壌が流れて裸になった場所にカラマツや広葉樹の稚樹を見つけられることです。中には雪の重みで曲がりながらも、それでももう一度立ち上がろうとしている株もある。自然って、やっぱり力強いんですね。
これからここにはいろいろな草木の種が飛んできて、入れ替わり立ち替わりながら、そのときの環境にあった植物が育ち、何十年もかけて最終的な森林になっていくのでしょう。
「厚真町森林再生・林業復興検討会議」の座長を務める北海道大学の中村太士教授は「自然界は大きな攪乱があってもゼロにしてしまうことはない。必ず次に回復するための種を残してくれている。それを賢く利用することが重要である」とおっしゃっています。
具体的な位置を決めるのはこれからですが、今後は森林の状況を丁寧に確認しながら、林業を再開できるところ、自然回復に委ねるところをゾーン分けして、それぞれの場所に適した森林整備をしていくことになります。
タンザニアにいたときも似たようなことを考えていました。水源として守っていく森林と、薪として採取する森林を分けて考えてはどうだろう、と。厚真町のこれからも、林業を再開して稼ぐところと、水土の保全や生物多様性を重視するところとを、分けて考えていくことになります。
ただ、森は所有者さんの財産ですから、我々で整備方針を勝手に決めることはできません。まずは、客観的な事実に基づいた判断基準を示す必要があると思っています。
その上であらためて所有者さん一人ひとりの意向に寄り添いながら、同じ目線でよりよい未来は何か?を一緒に考えていくことが大切なのかなと思います。
町長は「震災からの復旧ではなく復興。産業として改めて競争力のあるものにしたい」といいます。森林再生も「元に戻すこと」を目指すのではなく、新しいステップへの契機にする。そのひとつがスマート林業の取り組みです。材積(丸太の体積)を出すのに従来は一本ずつ直径や長さを測って計算していましたが、今は写真を撮るだけで材積がすぐに分かるシステムが開発されています。たとえばこういった新技術の導入によって省力化を図り、林業の競争力を高めるという考え方です。ほかにもさまざまな技術開発が進んでいますが、町有林を活用しながら導入に向けた試験をしていけたらと思います。
また、林業だけではなく、身近な森林と住民との接点づくりも進めていきたいと考えています。震災前から感じていたことではありますが、厚真町はすぐ近くに森林があるのに、町民が森とのつながりを感じる機会は意外と少ないんです。森を見直すこの機会にもう一度、森と人との関係性をつくり直すことができたらいいですね。
冒頭で林業を駅伝にたとえ、震災で多くの「たすき」が傷ついたと表現しました。
ですが、「たすき」は完全に絶たれたわけではありません。一度落とした「たすき」も、また拾ってつなぎ直すことができます。
その作業は簡単じゃないし、とても時間もかかります。決して一人ではできません。でも、厚真町には一緒に「たすき」をつないでくれるすでに仲間がいます。
そしてこれからその「たすき」を受け継いでくれる人たちがいると信じて、目の前の一つひとつの課題を乗り越えていくのみです。
厚真町では、厚真町や厚真町の森をフィールドに起業し活躍してくれる人材を募集しています。
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